ちゃんと死ぬ

私はどうやら移行期らしい。

 

らしい、としているのは潜在意識でのことなので自分にはよくわからないから。

 

移行期にはどうしても意識の中に混乱が起こる。

 

その混乱を感じきると、新たな自分に出逢えるようになっているようだ。

 

きのうのエッセイで、私は自分の変化を受け容れることに対する恐怖と不安がある、とお話した。さらに出てきたのは創造性を発揮するのを恐れる気持ちがある、ということだ。

 

当エッセイで、私には「新天地」というメッセージを何回も感じていることをお話している。

 

「新天地」に旅立つには、一回きちんと死ななければいけない。過去の自分との決別だ。

 

しっかり死なないと再生はやってこない。

 

このことがきのうの夜から浮かびあがってきている。

 

今朝、めざめの瞬間はなんとも言えないほど不快感に包まれていた。

 

静かに、粛々とそれを感じていたら、ある人のことが浮かびあがってきた。

 

その人は、世間一般の常識から言うと短命だった。ガンだったらしい。

 

その真意は何かと私は何回も考えてきたけれど、ふと感じたのは、ただその時がきた、それだけだ、と感じることができた。

 

短命は哀しいという、先入観。

 

短命は不幸だという、先入観。

 

それがまず、私の中にあった、ということに気づいた。

 

その人がガンであったにしろ、短命であったにしろ、その人はその人の天寿を全うした。

 

それ以上でもそれ以下でもない。

 

そのことがやっとストンと腑に落ちた。

 

私もその時が来たら死ぬ。

 

そのことは何をしようと免れない。

 

だからこそ、しっかり生きる。そのためにしっかり死ぬ。

 

生と死の再生が、こちらでも繰り返される歓びを味わう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

また「ですます」調をやめてみました。

 

移行期特有の混乱。

 

気持ちが元に戻るのです、これでいいのかな、本当に大丈夫なのかな、と。

 

その混乱自体が生きているということです。

 

私たちは混乱をよくないものとして、フラットにもっていこうとするこころの癖があります。

 

アップダウンはよくないとか。

 

その手のすべての先入観、思い込み。

 

いつも平穏でいられるわけがない。

 

それでいいんだ、それがあたりまえなんだ。

 

自分のこころをしばっている社会的通念。

 

一つ一つ外していくそのプロセスを楽しみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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