「ひかりのしずく」エッセイ、コンテンツ500を超えました

当エッセイ「ひかりのしずく」は、私自身の意思というより、誰かに書かされている感じのするシリーズです。

 

その数なんと、500を超えました、シリーズ・タイトルでいうと「6」。

 

ご覧いただくとおわかりになるかもしれません、一日に4コンテンツもアップしていたり、時に「ですます」調をやめてみたり。

 

私は元々原稿を執筆するスピードが早いのですが、「読んでいただく」ということを意識しすぎて、何回も推敲を重ね、結果、拙著、ブログやメール・マガジンはものすごく効率の悪いことになっていました。

 

当「ひかりのしずく」シリーズは、さらっと書けます。流れるように文章が浮かんでくることが少なくありません。推敲もしない場合がほとんど。調べものもしないで書けます。ここ最近のお花シリーズの花言葉は調べていますけど。

 

何より、執筆すると勝手に「癒し」が起こるようになっています。「書く」ことによるヒーリングの実践の場として、当シリーズが設定されているのかもしれません。視方を変えると、ご覧いただいた方にも「癒し」のエネルギーが届くようになっているようです。

 

〇〇の存在が関与しています、と書かないのは、あちらの指示によるもの。

 

〇〇の存在が関与している、と書いた時点で私のエゴが膨らみ、また読んでくださる方のエゴも膨らんでしまうとの配慮がなされてのこと。

 

エゴは私たちになくてはならない存在です。エゴをダメとする考え方は私にはありません。むしろエゴと向き合い、時にエゴに支えられ、けれどエゴに一方的にイニシアチブを譲るのではなく、ほどほどの頃合いをみながら、うまい塩梅でお付き合いできればいいな、と、その関係は「人」の関係とまったく一緒です。

 

ある時期「エゴはいけないもの」との意識が深まり、かえってエゴを暴走させてしまったことがあるのではないかとそんな反省をいかし、エゴとの適切な距離感を探りつつ、当エッセイを執筆しています。

 

そのお蔭なのか、かなり調子がいいのです、心身魂のバランスが。

 

これもまたある時期、「こころ」モードに傾きすぎたことがあって、それはそれでその時のベストだとは感じているのですが、何かに特化しすぎることは、全体のバランシングがうまくいかなくなってしまうということを学びました。

 

だからと言って私はバランスの取れた人間です、などと言えるわけもなく。

 

まだまだフラフラ、あっちに向いたり、こっちを向きすぎたり。

 

それでもどこを目指せばいいのか、少しだけ視えてきたので、私なりのモノサシではあるけれど、そこそこ、まぁ、いいんじゃない ?  くらいのコンテンツをご提供できていると感じています。

 

すべての人が同じように感じてくださるはずはないので、その辺もきちんと理解して。

 

何より私自身が当シリーズを書くことが楽しくて仕方ない、ということが最大のポイントなのかもしれません。

 

以前お話したように、当シリーズは本当に「ひかりのしずく」になっているようです。私がエゴを暴走させなければ、「水平」のエネルギーが流れているはずです。

 

言葉、文字、ももちろんですが、そんなところもお楽しみいただけると嬉しいです。

 

当エッセイは「502」個目。

 

どこまで続くのか、突然打ち切りになるのか、私にもわかりません。

 

ただただ「書く」ことを楽しむ作家・阿部佐智子がいる、という意識化のために、この場があるのかもしれませんから。

 

私の感覚だと、ここ数日で私の内なる先生が様変わりをしたのではないかと。

 

「新生」ひかりのしずくが展開されるのでしょうか。

 

楽しみ、です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

当エッセイは2019/02/02にアップしたものです。

 

翌朝、2月3日節分の日の明け方に私の中の大きな何かが解放されたため、起きてから珍しく文章を推敲しました。

 

「内なる先生」の様変わり。

 

これ、ホントだったみたい。

 

朝、愛猫・海・うみがリビングに置いてある海・うみ用ボックスにはじめて入りました。昨年年末にセットしたもの。今まで一度も入ったことがないのに。

 

愛犬・華実や愛猫・海・うみのようすから、「あっ、変わったんだ」とわかることが少なくありません。

 

彼らは私の外なる先生。私の内なる先生とつながっています。

 

「新天地」

 

 

 

 

 

 

 

 

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