私は「死」に支配されていた

私は生きることを拒絶していた。私はこの世での生の歓びを拒絶していた。

 

今朝、そんな気持ちが突然わいて来ました。

 

それは同時に「死」に支配されていたことをあらわしています。

 

いかに「死ぬか」、いかに「死の世界」に受け容れられるか、それが私の人生の目的だったようです。そう、つい先日までは。

 

潜在意識でのことですから、私自身にその認識はありませんでした。

 

生の拒絶。

 

性の拒絶。

 

性とはセックスとかセクシュアリティーとか、そういった言葉で解釈されることが多いもの。実は、この「性」は生命力の源、命の根源とされるもので、もちろん誰の中にも備わっている「力」です。

 

女性性と直結する力をヒンドゥーの伝統では「シャクティ」と言うんだとか。この「シャクティ」こそが私たちの命の源だとするのがヒンドゥーの教えです。

 

ヒンドゥーが正しいとか間違っているとか、そういうことはおいといて、自分の中の「女性神」とされる、生命力の源が誰にでも備わっていることの一つのたとえだとするとわかりやすいでしょうか。

 

発達心理学の考え方では、女性性が先に発達し、その後男性性が発達するという捉え方をします。優劣ではなく、順番の話です。

 

女性性が健全に発達すると、自然に男性性も健全さの中で発達することができる。ただし、たいていの場合、女性性の健全なる発達はむずかしい。私個人の理解では、それは社会全体、世界全体のエネルギーのあらわれだと感じています。

 

私たちのこの世界は長い間「父権社会」としてその仕組みが構築され続けてきました。

 

「父権」の前に「母権」が健全に構築されていると、この「父権」はより良いバランスを発揮します。あまりにも一方的に「父権」が発達しすぎると、「母権」は委縮し、その存在価値を見失うことも出てきます。

 

この社会の構造が、私たちの一つ一つの命に反映されているのかもしれません。そのため、たいていの人は、自己肯定ができず、自尊感情も育たず、強い自己否定の中で一生を過ごすことになります。「母権」の一番特徴的な力は「受容性」。この「受容性」が育まれることなく、他者に依存したり、隷属したり、というアンバランスな生き方が生まれてきます。

 

私自身もまさにそうでした。

 

ということは、現代人の傾向として、内なる「女性神」の存在を否定し、それが自身の命の否定につながってしまっているケースが少なくないということではないでしょうか。繰り返しになりますが、内なる「女性神」は男性の中にも存在する力です。

 

この、「女性神」と「男性神」のアンバランスによって、私たちは自分自身を思う存分発揮することができないまま、死の世界、あちらの世界に憧れを抱きながら生きてしまう。逆の視方をすれば、こちらの世界での自分を徹底的に拒絶するようになります。無意識のうちに。

 

このようなせめぎ合いが、私たちの潜在意識では、あたりまえのように行われているのかもしれません。

 

たまたま私は、この事実に気づき、どうやらこちらの世界に意識が戻ってきたようです。

 

今までは「父権」に依存する存在、として生きてきました。

 

これからは、自分の命の主人として、こちらでの生の歓びを享受する生き方へと意識が反転しました。

 

「あちらの世界、あるいは死の世界」と「こちらの世界、あるいは生の世界」は表裏一体。どちらもがあっての私たちの命です。けれどあまりにもあちら優位に傾いていると、こちらでの世界の煌めきを損ないかねません。

 

今、思う存分、ご自分を輝かせている方、煌めかせている方はそれでいいのです。もちろん。

 

私のように、何かが釈然としなかった、何かが物足りなかった。という方は、もしかしたら「あちら」の世界にエネルギーが向きすぎているのかもしれませんね。

 

私たちの意識の主は、私たち自身です。

 

内なる女性神 = シャクティの力を引き出すためのスイッチを入れるのは、私たち自身です。

 

内なる女性神が本来の力を発揮した時、内なる男性神もまた、そのもてる力をフルに発揮することができるようになります。女性神にスイッチを入れることで、女性神も男性神もより大きな力を引き出すことができる、ということです。

 

父権のエネルギーを抑圧したり排除したりするのではありません。

 

より健やかな父権社会を母権社会と共に創り出していく、ということです。

 

私たちの中にある女性性、男性性はもともとは一つのものでした。それが分離したために、結果、そのバランスが崩れてしまった。そのバランスを調整するために、女性性にスイッチを入れる。

 

自らの意思で。

 

心理学的に考えると、これは女性の男性または男性性に対する強いコンプレックスが抑圧されたがゆえの現象と考えられるのかもしれません。

 

自分のこころのありようを探るという意味では、深層心理学などはかなり有効な考え方ではないでしょうか。もちろんそれですべてが解決するという意味ではありません。

 

むずかしいことを言いたいのではなく、あちらの世界でどう生きるかより、私はこちらの世界を思い切り楽しむ、という意識に変わりました、ということのお話です。肉体があるからこその歓び。体験。

 

今までこれはちょっと、と我慢してきたことも楽しんじゃおうかな。

 

こちらの世界を楽しんでいるうちに、その時は自然にやってくるはずだから。身構えなくても。

 

自分の立ち位置が完全に変わりました。それと言うのも「死」に支配されていた自分がいたからこそ、です。「死」からの支配は決して悪い側面だけのものではなく、私たちの人生においてきちんと意味がある、ということですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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