自傷エネルギーの痛みを感じて

今朝、瞑想をしていた時、全身の細胞が悲鳴をあげるかのような痛みを感じました。

 

自分で自分を傷つけていたのです、無意識のうちに。

 

細胞がトゲトゲとしたエネルギーを放射してきました。今までにまったく感じたことのない感覚です。

 

これは攻撃性ね、と自分自身に確認をとりながらそれをずっと感じていました。

 

はじめ、強い意志を持った攻撃性だったものが途中から哀しみの混じった淋しそうなエネルギーに変わりました。

 

私だけのものなのか、集合意識と同調してのものなのかはわかりません。それでもその淋しさが痛いほどに伝わって来ました。

 

私たちの真ん中には、どうしようもないくらいの淋しさ、哀しさがつまっているみたいです。そのエネルギーをカモフラージュするかのように強い攻撃性が私たちの本質へと形を変えているのかもしれません。

 

しばらく、細胞が放つトゲトゲとした感覚を味わい、その後、両足の鼠径部に強烈な痛みが。何ものかで切り刻んでいるかのようです。両足の切断 ?

 

過去生でしょうか、それとも誰かの想念をキャッチしてしまったのでしょうか。

 

足を切断されれば、前には進めません。それ以前に自分の足では立てない。その感覚がどこからきているのか、まったくわかりません。

 

でも感じてほしいと身体が訴えて来ているので、その感覚も受け容れることにしました。しばらくすると、切断の痛みもなくなり、普通のエネルギーに戻ってくれました。

 

当エッセイの執筆中はサラサラとした清冽なエネルギーが全身を流れています。

 

ということは、自傷エネルギーを感じてくれてありがとう、という想いと共に、もう大丈夫だから、という癒しのエネルギーを感じさせてもらっているのかもしれませんね。

 

細胞に意識がある ?

その意識には、きちんとエネルギーがある ?

 

怒りのエネルギーと歓びのエネルギーと、完全に異なるものだということではないでしょうか。

 

そうだとしても、怒りのエネルギーが劣るわけではありません。

 

サラサラとして清冽なエネルギーと、刺々しい痛みを伴うエネルギーとどちらも等価なのです。

 

この感覚がストンと腑に落ちました。

 

私たちは自分の淋しさ、哀しさをいけないもの、感じたくないものとして自分の中に抑圧し続けています。抑圧すればするほどそのエネルギーは強くなります。それでもそれを感じたくないので、外から何かの攻撃を感じた時、あるいはあらかじめ何も感じないように、自分自身の中に攻撃性を隠し持つようになります。

 

私たちは「攻撃性」を認めたがらないので、その攻撃性が自分の個性として定着してしまいます。

 

攻撃性のエネルギーはどんどん膨れ上がり、時に他者に向いたり、時に自分自身に向いたりして、アピールを続けます。

 

正直、私の中にこんなにもトゲトゲした感情が潜んでいたのかとビックリしました。

 

よく考えてみると、一か月ほど前から、「攻撃性は生きている証なのでは ?」と感じ、今まで無意識、無自覚だった攻撃性が頭をもたげた時に「ありがとう」と言って、そのエネルギーを感じきっていたんです。

 

「私を守ってくれようとしたんだよね」

 

そんな自分自身の意識との対話を何回か重ねてきた結果、きょうのあのとてつもない「トゲトゲ」感が顔を出してくれたような気がします。

 

攻撃性は誰にでも備わっている本能のようなもの。生物が他者に負けないようにと自分自身を守るための力。

 

その根本を覚えておくと、攻撃性を排除したり、抑圧したり、そういう意識は和らいでいきます。

 

攻撃性が自分自身に向いた時、それは自傷行為と同じ。セルフ・ネグレクトと同じ状況が生まれます。

 

私たちは誰でも「ドМ願望」の意識を隠し持っています。

 

人からいじめられる。人がいじめてくれなければ自分で自分を痛めつける。そうやって自分自身の存在を確認しようとする場合があります。これもまた無意識のうちに。

 

攻撃性 = 一方的、悪、ではないということ。

 

攻撃性もまた自分の大切な要素だということ。

 

上手にお付き合いすれば、彼らは私たちの味方になってくれます。彼らを痛めつければ、反発が大きくなります。

 

エネルギーには必ず+と-の側面があって、それらは表裏一体です。

 

排除、ではなく受容。すると、+と-が良い塩梅でおさまってくれます。そのおさまり加減はエネルギーにお任せするだけで十分。自分で必要以上にコントロールすることはありません。

 

きちんとなるようになってくれます。

 

これが、私の細胞からのメッセージです。細胞は確かに生きています。目に視えないけれど、私たちの身体の中ではいくつもの命が有機的につながって、一つの何かとして機能してくれています。

 

そうやって私たちをずっと守ってくれています。

 

それも私たちの身体があってこそ。

 

そう、身体と細胞はまちがいなく、協調の関係を築いています。対立ではありません。

 

ということは、私たちの命は、本来的に協調のエネルギーがベースだということの証ではないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

執筆中のエネルギーが強すぎて、アップするのに一苦労です。こんなにも私を応援してくれる力が私の中にあったなんて。

 

あなたの中にも、ですよ、まちがいなく。

 

 

※ 追々記

 

私は日常生活に困るわけではないのですが、子供の頃から低血圧傾向、貧血気味です。今、調べてみたら、低血圧傾向の人は立つことに問題があるとのこと。何か問題が起きると、そこから逃げて無意識の中に逃げ込む傾向が強いそうです。女性には少なくないらしいのです、問題に立ち向かうのを拒否する。症状としては貧血で倒れたりする場合も。確かにヘナヘナと倒れ込んでしまえば、その状況に立ち向かう必要はなくなりますね。

 

と考えると、きょうの鼠径部の痛み。

 

考え方は二つあります。

 

一つは過去生の影響で、問題に立ち向かう力を自ら抑圧していた。

 

もう一つは問題から逃げる思考を続けていたので、そのエネルギーが鼠径部にたまり、 そのエネルギーがMaxになった。

 

そこに他の人の「問題から逃げよう」という想念が重なった、という可能性は十分にあり得るのではないでしょうか。

 

このことに気づいた時点で、この課題は解消方向に向きます。

 

そう、問題が起きたらきちんと立ち向かう力が蘇ってくれた、ということです。

 

このように、一見「負」のエネルギーを感じきると、「正」のエネルギーへと反転が起こるようになっています。「負」は「正」へつながるスイッチに過ぎません。仲良くしちゃった方が断然お得、ということですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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