蓮の花からのラブ・レター

蓮の花茶をいただきながら。

 

私は蓮の花との縁が深いようで、当エッセイでも何回も蓮のお話をしています。

 

今朝のラブ・レターは、いつもと違う。自分で言っちゃうけど示唆に富んだ内容かもしれません。

 

蓮の花。宗教的には極楽浄土を意味すると言われています。

 

蓮の花というのは、汚れた泥水、泥沼のようなところから、あの美しい花弁を開かせます。

 

私たちはあの花をみて、なんて優しいんだろう、なんて麗しいんだろう。そう思いながら極楽浄土に想いを馳せます。

 

蓮の花が教えてくれました。以下、なぜか話し言葉になっているのにも意味があるのかもしれません、その辺も楽しんでくださいね。

 

私の意識に言葉が話しかけてきたわけではありません。書こうと思うと、なぜか話し言葉になってしまうんです。

参考書はみていません、私の中から浮かんできたラブ・レターです。

 

 

 

みてほしいのは、花ではなく、泥沼の方なの。

 

一般的には、あまり綺麗とは思えないあの泥沼にこそ、私の本質が隠されているの。

 

あの泥沼は、あなたの中の闇を象徴している。

 

わかる ?  闇よ、影。

 

たいていの人は、闇や影から目をそらすもの。

 

その対極にある、成熟したあの花びらばかりに目を奪われるものよね。

 

蓮の花は、あの泥沼があるから生きられるの。植物としての生命力を花開かせることができるの。

 

あの泥沼と同化してみて。

 

一見、綺麗に感じないあの泥沼の波動を感じてみて。

 

見た目で「汚い」と決めつけているあの泥沼の中にこそ、生命の煌めきが隠されていることに気づけるから。

 

あの泥沼は、あなたたちのネガティブな感情。エゴだったり、煩悩だったり、さまざまな表現がなされているものたちの総体。

 

そこに徹底的にフォーカスして、感じて。

 

それもあなたの大切な一部だから。

 

感じて感じて感じつくしてね。

 

すると、あなたの中に今まで視たこともないような美しくていきいきとした蓮の花が息づくから。ハートに灯がともるから。

 

そう。

 

極楽浄土は、どこか遠くにある理想郷なんかじゃない。

 

あなたのいる場所こそが、あなたのこころこそが極楽浄土なんだから。

 

極楽浄土を感じるためには、その対極にある「汚れ」と総称されるもののすべてを感じることが必要なの。

 

「汚れ」を感じると自然に極楽浄土に同化できる。

 

花が先、ではないの、土、泥沼が先。

 

あなたたちの命と同じ。

 

あなたたちが地球で唯一無二の大輪の花を咲かせたければ、大地の中に埋もれている、あなたの中の無意識につながって。

 

綺麗な心身を創りたければ、一見「汚れた」ドロドロしたところに眼を向けて。

 

そのドロドロが深ければ深いほど、あなたの心身は光り輝くようになっている。

 

光と闇の法則。光と影の法則。山と谷の法則とも言うわ。

 

光は闇や影があるから光なの。光だけでは存在し得ない。それは影や闇も同じ。

 

蓮の花は、極楽浄土は、泥沼、ドロドロがあってはじめてそれと認識できるものなのよ。

 

目を背けたくなるような、一見「敵」とも感じられる、そのドロドロを感じてね。

 

いくらドロドロを感じたところで、あなたに「負」の矢が戻ってくることはないから。

 

ドロドロは「正」の一部なの。そのままだと光が少しだけ足らないけれど。

 

「負」があるからこその「正」。

「悪」があるからこその「善」。

「闇」があるからこその「光」。

 

すべて同じだけ価値があるのよ。そう、すべて価値は同じ。

 

私とあなたの価値ももちろん同じだわ。

 

 

 

この星の、この宇宙の、親愛なる友へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

蓮の花との出逢い。

 

二年前、はじめて古代蓮に出逢った時の感動はものすごいものでした。

 

記憶をたどってみると、十数年前、旅行先のバリで通称「蓮寺」にも行っていたし、無意識のうちに。

 

今、飲んでいる蓮の花茶は、買ってみて、ベトナム製と気づきました。

 

ベトナムの蓮も確かに素晴らしかった。そして私は何よりベトナムの人のこころがハートに響いたのです。

 

彼らの凛としたしなやかさ。

 

戦争であれだけ苦しい想いをしたのに。

 

もしかしたらベトナムの人は、その苦しさに向き合い続けているのかもしれませんね。

 

逃げないで。

 

絶対に守ってくれている存在はいるから。

 

どんなに私たちがいやなヤツだったとしても、どんなに情けないヤツだったとしても私たちは絶対に見捨てられることはないのです。

 

きのう、そのことがストンと腑に落ちました。

 

2年半、ドロドロにむきあったお蔭かな、私の進んできた道はまちがってはいなかったんだ、と心底ホッとしました。

 

それでもまだドロドロは出てきます。

 

一つ一つ大切に味わいます。

 

今朝はめざめの瞬間、ハートに小さな灯がともっているのを感じました。感情に置き換えると、安心感と歓びでしょうか。小さな灯だったけど、私には十分あたたかくて優しかった。

 

守られているんだ、守られていたんだ、ずっと。

 

やっと、そう感じることができました。

 

ドロドロちゃんに感謝。

 

自然に、素直に、「ありがとう」。

 

 

 

 

 

 

※ 追々記 

 

当エッセイアップ後、再び管理画面に戻りました。

 

シュワシュワ、っと優しいエネルギーが特にハートのあたりに集中。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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