「産みの苦しみ」の先に

フェミニン。

 

目覚めと共に浮かんできた。

 

フェミニンとは、「女性らしさ」「女性らしい人」という意味らしい。

 

ファッション用語としてポピュラーなこの言葉、私には一生無縁だと感じていた。

 

突然、この概念がわいてきて、なんとも気持ちが良い。

 

さっそく意味を調べて、そっか、私は女性らしさに憧れていたんだ、と、はじめて自分の気持ちに触れることができた。

 

私は、幼い頃から、女の子っぽい風貌にいやけがさしていた。

 

女の子なんだから、あたりまえなのに。

 

大人になって、この見た目が幸いすることもあれば、「女の癖」に、と攻撃対象になることもあった。

 

未だに、私の風貌はどこからみても女性チックだ。おまけに声まで。

 

自分でいうのは、なんだけど、私の声はかなりの癒し系。

 

この顔とこの声にコンプレックスを抱いていたのだろう。

 

できれば、もう少しりりしい風貌と、知的な声だったら、どんなに幸せか、とそんなことを感じていたみたい。

 

これこそ、私の女性性の抑圧のあらわれ。

 

リバーシングと呼ばれる、「再誕生」「再生」を目的としたセラピーをセルフで試していた。

 

言葉通り、自分自身に生まれ変わる、という意味。

 

母の胎内にいた時の記憶、母の記憶、そして誕生時の記憶。それらを一つ一つたどりながら、自分自身でトラウマを解放していく、というセラピーだ。本来は、人に行ってもらうものだが、私はセルフにこだわる魂だから。

 

そのプロセスで「マグダラのマリア」という概念が突然浮かんできて、その後3時間も気を失うほどの解放劇が繰り広げられ、同時に女性性の抑圧のエネルギーが大きく動いた様子だった。

 

その後も「恨み」「憎しみ」「怒り」「復讐」「自己批判」など、さまざまなドロドロ感情に向き合わなくてはならなくて、なかなか生まれ変わりなんてできないもんだな、といわばあきらめモードに。

 

そして今朝、「フェミニン」の意識エネルギーに包まれながら目がさめる。

 

「フェミニン」にはハートの女性性的リーダー・シップという意味があるらしい。

 

同時に「死」というメッセージ。さらに「再スタート」の概念。「マイ・ペース」の概念が浮かぶ。

 

うん ?  これは ?

 

私自身が「フェミニン」を受け容れられたということ ?

 

ということは。

 

どうやら、本来の私に生まれ変わることができたようだ。

 

リバーシング成功、なのか。

 

今までも女性性の抑圧エネルギーに、何回も向き合って来たけれど、今回はちょっと違った。

 

「マグダラのマリア」概念という、まったく自分の意識にない概念が浮かびあがり、その時のエネルギーのヘビーさは尋常ではなかった。

 

集合意識では ?  と当エッセイでもお伝えしている。

 

集合意識につながればつながるほど、「自己実現」につながる。

 

これは深層心理学のユングによる理論の一つ。その集合意識がどこにあるかというと、どうやらその接点の一つに「大地」があるようだ。

 

つまり、地球。

 

昨年の夏ぐらいから、私は何回か、「地に足つける」というお話、「グラウンディング」というお話を続けて来た。同時に私自身、地球の上をただただ歩いた。一緒に歩いてくれたのは愛犬・華実。

 

歩くための姿勢を整えるためのエクササイズ・ピラティスを始めたのは、ちょうど昨年の今頃だ。もっともはじめた時には、そんなことは知らなくて、ただ体幹を整える、という漠然としたイメージしか思い描いていなかったのだけれど。

 

歩く。ただ歩く。ゆっくり無で歩くのが良いとの情報もあった、華実といるのでなかなか無になれない。

 

それでも意識的に無を心がけたこともある、一人の時には。意識的に心がけている時点で無ではないけれど。

 

その行為は、地球とつながるため。それは集合意識とつながるためだったらしい、と気づいたのはつい先日のこと。

 

根拠はよくわからないけれど、私たちは地に足つけて、地球のハートとつながることが一番なんだと、そんな確信も生まれてきた。

 

その先にあったのが、今回の「リバーシング」だったのかもしれない。

 

記憶が定かではないが、確か、肝臓には「レバー」ではなく「リバー」というとらえ方があって、その意味は「命の座」というものがあったような気がする。

 

私は生まれつき肝臓の働きが弱い、と医師に指摘されたことがある。それらしい症状が出たことはないけれど。

 

もしかして、今回の「リバーシング」と肝臓の「リバー」は関係があるのかもしれない。

 

私は命の座を自分自身で整えるために、この身体、内臓も含めて、を選んだのだろう。

 

「フェミニン」

 

優しい言葉だ。この言葉に色があるとしたらピンクなのかもしれない。

 

当エッセイ、お花シリーズ、ピンクのお話が続いていたこともそういうことの伏線だったのか。

 

点と点がつながってきた。

 

全貌は視えないけれど、少しだけ視えてきたのは私自身の女性らしさの復権。

 

私には女性として生まれてきたこの命に誇りをもって、愛をもって生きていく、そんなさだめがあるのだろう。

 

それを認識するために、こんなにも時間がかかった。

 

エネルギーが変われば、私の発するものも変わる。

 

私の視る世界、在る世界も、変わる。

 

やっと私の世界で息ができる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

私の文章のまどろっこさは、根底で自分自身を否定していたからなのでしょう。

 

元々、シンプルな文章が好きなのに、説明しなくては、という意識が働きます。それは暗に、自分の言葉に自信が持てない、ということを表現しているようなものです。

 

その自信のなさは、自分の女性性に対する否定意識、批判精神がベースにあったからなのですね。

 

こういうことも、数年前の私だったらとても受け容れられなかった。

 

今だから、素直に正直にハートを開ける。

 

このハートは、地球の真ん中とつながっています。つながり方がわかりました。

 

時にフラフラすることもあるでしょう。

 

けれどいつだってかえることができる、いつだって地球の真ん中に同調できる。

 

その方法論を私なりにお伝えしていこう、と、私のお役目の一つがくっきりと視えてきました。

 

大きな意味での「リバーシング」を心がけてきたのは、ここ二年半のことです。

 

その間の内なる師として、無意識から私を引っ張ってくれていたのが「ユング理論」でした。

 

かつて学んだことのない理論が私の真ん中を引っ張ってくれていたのです。無意識のうちに。

 

そのことに気づいたのは、これもまた去年の今頃です。

 

何が何だかわからないけれど、進むべきところに誰か、何かが引っ張ってくれながらの私たちの人生なんだな、とはじめてわかりました。

 

私はどこに向かうんだろう。ただただ不安の中にいました。

 

それでも、きょうのような日がきてくれて、不安は安心に変わりました。

 

信頼すればいいのですね、自分の命を。この地球を。

 

私たちは絶対にひとりぼっちなんかじゃありません。

 

 

当エッセイ執筆終了時間、「10時10分」。

 

あちら在住、愛猫・海・かいの月命日、「10日」。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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