男性性の不安、恐怖心につながりました

「淋しいよ、さみしかったよ、心細かったよ」

 

そう言って私の男性性が泣きました。正確には、声は聴こえません、意識の中にその概念が浮かびあがってきて、それを私流に解釈して言語化していきます。ただし泣いている感覚は伝わって来ます。

 

最初につながったのは、とてつもない不安感、恐怖心。どうしたのかな、と感じていると、「欠乏感」です、愛が足りない、物質が足りない、何もかも足りない、と。

 

足りないからどこからかそれをもってきて補填しようとするけれど、それは決して充足感、満足感につながらない。またまたどんどん欠乏感が膨らんでくる。奪っても奪っても満たされないんだよ、と。

 

その次に、「嫌われているよね、誰も僕のことを愛してくれていないよね。恨まれているよね。僕のこと、すごく怒っているよね」。これも厳密には言葉が聴こえてきたわけではありません。ただ、私が感じる意識概念です。

 

それらに対して私は言葉で答えます。

 

大丈夫、誰もあなたのことを怒っていないから。恨んでいないから。

 

そう告げると、号泣。

 

「つらかったんだ、苦しかったんだ、淋しかったんだよ、誰も僕のことを愛してくれていないと思っていたから」

 

そんなことはないよ、あなたはちゃんと愛されているんだから。

 

そう告げると、ものすごいテンションではしゃぎます。

 

「本当 ? 僕のこと誰も怒っていないの ? 誰にも嫌われていないの ?」

 

うん、安心して。私たちは本当は一つだよね、バラバラになっているような気がするけれど。お互い様だよね、すべて。お互いにお互いを必要としているよね。それがうまくできなかっただけ。私の方もあなたを敵対視していたところがあるから。これからは対立ではなく手に手をとりあって協力して一緒に生きていこう。それが本当の姿なんだから。

 

そう告げると、またまた大喜び。

 

「一人で頑張らなくていいんだね。男だからって、頑張り続けなくていいんだね」

 

そうだよ、泣きたい時には泣いていいし、弱音を吐きたい時は、ちゃんと吐けばいい。一人であれもこれも、ってがんばる必要はないから。だって元々私たちは一つだったんだよ。

 

今度は歓喜の声。

 

「そっか、淋しかったんだ。だから、片意地はって、自分を大きく見せようとして、自分は偉いんだ、自分についてこい、って。でもつらかった、本当の自分は、もっとちっぽけで弱虫だってこと、何より僕自身がわかっていたから。いつまでウソをつき通すんだろう。どうして、僕はひとりぼっちなんだろう、って」

 

多分、「彼」が人間だったら、鼻水ぐしょぐしょで、それでも笑顔で、大変なことになっていたでしょう。それくらいハイテンション。もう、嬉しくて嬉しくて仕方ない、という感じです。

 

淋しかった、お互いに、ですよね、きっと。

 

私たちは最初、一つだったものが二つに分離されているので、基本「分離不安」なんだと感じました。

 

本当は一人にされたくないのに、でも強がって「自分は一人でも大丈夫だから」と虚勢をはる。女性性は、思いっきり陰にこもる。被害者意識を権威としてふりがさす。一方、男性性は思いっきり、支配的になる。どんどん女性性のテリトリーを侵略し、それでもまだ突き進んでコントロールしようとする。

 

お互い「分離不安」なのですから、お互いに寄り添えばすむものを。

 

そんなことがずぅっと昔から体系立てて意識づけられてきたので、どうにも「アンバランス」の極みだったのではないでしょうか。

 

女性性が元に戻り、本当の自分の力を想い出せば、しっかりと男性性の弱さも不安も淋しさも受け止めてあげることができます。

 

女性性は、母、ではないけれど、その母性で男性性を包んであげることができます。それがうまくいくと、男性性も穏やかな父性を思う存分発揮することができるようになります。

 

女性性、が先。これは誰にでも言えること。その後が男性性なんです。発達心理学の研究でもそう言われています。

 

私の中で、女性性の解放が行われ続け、きのうは、おそらく女性のマグマが爆発して、私の女性性は本来の生命の力を想い出したのではないでしょうか。

 

だから今度は男性性の解放。

 

今まで女性性にばかりフォーカスしていたので、男性性ちゃん、大変でした。

 

うん、とうなづけばわかるのに、「うん、うん、うん……うん」、エンドレスかと思うくらい首を振りまくるのです。

 

そう、リアクションは言葉ではなく、私への体感となってあらわれます。

 

もうこの辺で平気かな、と思うのに、なかなか自由にしてもらえなくて。

 

それくらい我慢していたのでしょう、男性性、は。

 

男性性というと、もう少し大人のイメージだったのですが、私とつながってくれたのは、ティーンエイジャー、もしかしたらもっと幼い男の子のようです。私の、としましたが、多分集合意識ですね。

 

男の子なんだから。

男の子のくせに。

 

誰もがきっと一度はそういわれて、どんなに哀しくても、どんなにつらくても泣くこともできなくて、誰かにすがることもできなくて、ただただ孤独感を深めていたのかもしれません。

 

彼らに向き合った時の私は、まさに女性性そのもの、母性そのものだったような気がします。

 

ごめんね、今まで話を聴いてあげられなくて。

 

女性のみなさま。男性もお話を聴いてほしいと思っています。時には何も言わないで抱きしめてほしいと感じています。

 

どんなに強がっても、一人では生きていけないことを彼らも確信しています。

 

ご自身の女性性に向き合って、まずは女性性の言い分を聴いてあげてみてはいかがでしょう。すると自然に男性性ともつながれるようになるかもしれません。

 

私にできたことは、本当は誰にでもできる、という証なのではないでしょうか。私たちは、みんな平等だから。たまたま潜在意識がそれをブロックすることはあったとしても。その先にあるのは、新たな女性と男性の関係のはず。素晴らしい、豊かで包括的な関係です。

 

男性性とのコンタクトが終わったらなんと、突然、佐野元春の「ガラスのジェネレーション」のフレーズが浮かびあがってきました。自然に。無意識に。

 

「恋をしようぜ、Baby♪」

 

女性性と男性性、新たな恋の始まり。

 

「つまらない大人にはなりたくない」

 

めちゃくちゃ、楽しみなんですけど。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

宗教的には、女性性と男性性の統合のために、異性とのセックスを大々的テーマとして掲げる考え方も少なくありません。

 

でも、それにふさわしいパートナーがいなかったらどうなるんでしょうか。

 

自分自身の中にある女性性と男性性が、上手に統合すれば、外の何かに頼る必要はないはず。

 

ずっとそう思っていました。

 

少なくともそれらの宗教的概念は、スタートはそうでなかったかもしれないけれど、「男性性」主体に組み立てられたものだと感じるから。

 

女性性と男性性。

 

どこまでもイーブンの関係のはず。対等な価値観の存在なはず。

 

私の中の女性性と男性性がどこに向かうのか、これからどうなるのか。

 

おそらくこう書いている時点で、しっかり「和合」できているのだと感じます。

 

ありがとう、男性性ちゃん、私とつながってくれて。

 

かわいいわが子がお腹の中にいる気分です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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