「音を観る」観音さま

観音さま。

 

私たちにとって比較的馴染みのある存在ではないでしょうか。

 

中国には観音信仰というものがある、とどこかでそんな話を目にしました。

 

私は、この辺の話に疎いので、私流に勝手に解釈しているところもあるかもしれません。

 

さて、観音さまというのは「音を観ている」んだとか。

 

音ってみえませんよね。

 

そこから「目に視えないものを観る」という意味につながっているそうです。

 

さらに、どこかの禅僧の言葉でしたか、「私たちの目の前にあらわれているのは、眼に視えない世界の意識そのものだ」というような内容のお話もありました。

 

つまり、この現実の世界の裏側を探ってみると、眼に視えない世界の真実が観えてくる、ということなのかもしれません。

 

これって、まさに「陰陽思想」ではないかと。

 

また、深層心理学の潜在意識と顕在意識の関係にも似ています。

 

私は最近、この手のこと、お花だったり、愛犬・華実や愛猫・海・うみの様子から探っていることがあるような。

 

ということは、私も何かを「観よう」という努力をしているのかもしれません。

 

例えば。

 

愛犬・華実は時々、朝、うんこちゃんを部屋中にばらまいている時があるのです。

 

この行為にあらわれている、その真意となるメッセージは ?

 

「ウンをつかめ」、そう、「運をGetしろ ! ツキをつかめ ! チャンスを逃すな !」

 

つまり、運はいつでも足元に転がってる。それを活かすも殺すもあなた次第だ、ということではないかと感じたりするんです。

 

と思うと、そのうんこちゃんが天使ちゃんに見えてきて、ばらまいた華実自身も愛のメッセンジャーとなるわけで、私の怒りはわかずにすむ、ということにもなるんです。

 

ちょっと違うかな。

 

「みえない世界を観る」、楽しそうなので、自分流で続けていくつもりです。

 

そうそう。私は観音さまにはあまりシンパシーを感じていなかったのですが、数年前ベトナムに行った時、巨大観音さまに遭遇し、そこで一見「ミラクル」的エピソードに遭遇して、以来、もしかして観音さまともご縁があるのかしら、と感じていました。

 

観音さま。女性説もあり、男性説もあり。どっちでもいいんじゃない ? が私流なんですけど、まずいでしょうか。

 

ベトナムの観音さまは真っ白で見目麗しい女性でした。たぶん、内面の女性性と男性性のバランスがとれた存在なのでは、と勝手に感じていますが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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