恐れ、愛。
一見対極にあるこの二つ。
実は、恐れも立派な愛なのです。
一般的に恐れはいけなくて、愛は良い、と考えられていませんか。
恐れの方が波動が低くて、愛は波動が高いから、という表現をする考え方もあります。
ここに、そのヒントが隠れています。
波動が低いものは「悪く」て、波動が高いものは「良い」。
これもまた二極の考え方ですね。
波動が低いものがあるから、波動の高い状況がわかる。
波動の高い状況だけだったら、波動が高いという概念さえ成立しなくなります。
「高次の世界」「低次の世界」、そんな表現もありますが、それもまったく同じ。
高いから良くて低いと悪い。
それらは、「善悪」にわけて考えなくてはいけないという根本原則に成り立ってのこと。
ということは、いつまでたっても「二極」です。いつまでたっても「二元」です。
その「二極」「二元」にも意味があります。
恐れが大きい。それは感受性が豊かだから、ということのあらわれです。
こころが鈍ければ恐れも小さくなります。
同時に愛も小さくなります。
恐れの大きい人は、大きい愛を手に入れる潜在能力の持ち主だということです。
その、感受性の豊かさ、鈍さにも優劣はありません。
ただ、そうだ、というだけ。
感受性の豊かな人には、その人なりの人生の課題が、感受性が今一つ、という人にはそれなりの人生の課題が。
どちらかが優れていて、どちらかが劣っている、ということもありません。みんなそれぞれ、自分の人生の旅を続けているだけです。
この、こじつけのような考え方にどれだけの人が共感してくれるでしょうか。
以前はそういうことがとても気になりました。
今は、ただ私はそう感じています、ということをお伝えできればいいかな、という気持ちです。
といっても、なかなか、現実にはそうは考えられないことがあるのも本当のところ。
それも含めて、今の私の気持ち。
新しい時代の風。
今までの価値観とは異なる世界が拡がる予感を感じさせてくれています。