新時代の風~義父の一周忌法要を終えて

先日、主人の父の一周忌法要が終わりました。

 

この後、義母が私たち夫婦のそばに引っ越してきます。

 

主人の実家は、庄屋か何かの家を、義父の結婚時に手に入れたものらしく、立派なたたずまいではありましたが、私はあまり馴染めず、なぜかその家に行くと毎回気分が鬱々としていました。

 

もっともそれは義母との関係のあらわれであったのかもしれません。

 

義父が亡くなり、その家を売り払い、つまり主人には実家というものがなくなります。

 

私は両親共に早くに他界しているので、兄家族がいて家は残ってはいるものの、すでに実家、という位置づけの存在は私の中からなくなっています。

 

義父の一周忌は、その家とのお別れの日にもなったわけです。

 

帰りがけ、お仏壇に向かって挨拶をしていたら、「佐智子、自由になれ」という言葉がなんとなく聴こえてきました。私の中から浮かんできたものかもしれませんが、義父の声のような気もしました。

 

どういうことなんだろう、と数日考えていたら、「そういうことか」とさまざまな答えが浮かんできてくれたのです。

 

あの家は、日本の家族制度、家制度、そのもののような家だったんだな、と。おそらくあの家でも数々の家父長的ドラマが生まれたのではないでしょうか。その、集合想念があの家には生きている。

 

「保守的」。

 

義父、義母もお見合いだったと言いますし、その色は強く残っている世代でしょう。義父の実家も地元ではそれなりの家だったらしいので、その傾向をもろに受けた形で主人は育っていることになります。

 

田舎ならではの窮屈な生活が嫌で、東京に出てきて、まったくそういう概念と無縁の世界で生きているかのような私と結婚することで、主人は一つの自由を得たのかもしれません。

 

そうはいっても、何かにつけ、「長男なんだから」と実家に呼び出され、私も「長男の嫁なんだから」と何回も小言を言われ、今思えば、別の所帯を持っていても、確実に家制度の中に組み込まれて生きていたんだという事実にはじめて気づきました。

 

日本の婚姻制度は、夫婦別姓でもなく、結婚すると私たち女性は望むと望まざるとにかかわらず、相手の家の「お嫁さん」という属性に組み込まれ、今までの「家」「家族」をうしない、新たな「家」「家族」の新参者として生きていくことを要求されます。

 

「嫁」。女は家にいろ、という意味でしょうか。それとも「家に属する女」という意味でしょうか。

 

そして、その地域の新たなメンバーとして、そこでも「〇〇ちゃんのお嫁さん」という、なんとも不可解な称号を授かり、生きていく。

 

ああ、それが平成時代の私のもう一つの姿だったんだ、とビックリしました。

 

それら、「家制度」「家父長的制度」「嫁」「新参者」「よそ者」という、昔からの慣習、いえ、風習でしょうか、そして看板を下ろし、苗字は代わっているものの、「阿部佐智子」個人として、自由に生きていけ、というのが天国の義父からの言葉だったようです。

 

こう書くと、きちんと嫁ぎ先に同調できて、良い意味で上手に暮らしている人には腹だたしく感じられるような話に思えるかもしれません。

 

そういう選択を否定しているのではなく、そういうことにまったく馴染めなかった敗者としての私の独りよがりの理論です。

 

ああ、解放だ~~。

 

思い切り、ノビをしたい気分。

 

義母との関係は良くはありません。話が合わない、そもそもの生き方がまったく異なる二人なので。本当なら、ずっと田舎に暮らしてくれていれば、とも思いましたが、あの家は、私にとってはおそらく「家父長的家制度」の象徴であり、あの家がある限り、私は「嫁」という立場から抜け出すことはできないので、結果オーライだ、とすべての展開が嬉しくなってしまいました。

 

義母は主人の母であり、私は主人の妻である。共に、それ以上でもそれ以下でもありません。そこにわざわざ「嫁姑」という関係性のラベルを貼る必要はありません。少なくとも今までのように「お嫁さんなんだから」と言われ続ける筋合いはない。「家」を基準にした、昔ながらの家族制度に縛られて生きる必要はまったくないんだ、と明確にわかりました。

 

「嫁」という立場、「新参者」「よそ者」という概念を受け容れていたのは、他ならない私自身だったのですよね。きゃ~、潜在意識、おそるべし、です。

 

主人にとっての実家はなくなり、今住んでいるこの家が実家になるわけです。

 

私自身もこの家が実家。

 

義母にとっては、実家はお兄さんが住んでいるというし、今度の新たな場所が実家になる、ということ。

 

それぞれが新たな自分を歩きはじめる機会。対等な立場で。

 

私たち夫婦は、この家での共同生活者ではありますが、どちらが上でも下でもない。多少の役割の違いはあるけれど。

 

義母と主人の血縁関係は切れませんが、私ははじめから、「かやの外」、いい意味で。親子には親子なりの人生の課題があるはずですから、そこに私がいちいち首を突っ込む必要はなくなります。もちろん必要な時にはお手伝いをさせてもらうけれど、お互い「干渉」し合う必要はゼロ。

 

こんな解放感、久々です。

 

なぜこのお話をしようと思ったのかというと、女性は結婚しなければ、「なんで、結婚しないの ?」と周りから干渉され、結婚したらしたで、自動的に相手の家の新参メンバーに組み込まれる、こちらの意思とは無関係に。さらに、今度は「子どもはまだなの ?」と余計なプレッシャーをかけられ、子どもを授かっても授からなくても、さまざまな干渉は続き、そんな中で、本当に「アイデンティティ」の確立ができるものなんでしょうか、という素朴な疑問が生まれたから。

 

人の人生の課題はそれぞれです。

 

「家」にシックリくる女性もいる。

 

私のように「家」に縛られると、自分を見失ってしまう女性だってたくさんいるはず。

 

どちらが女性として「良い」とか「悪い」とか、もうそんな視点はまったく必要ないですね。

 

この「家父長的家制度」にはいいところももちろんあるはず。けれど明らかな時代錯誤の部分は、意識した人が自分で外していけばいいのではないでしょうか。個人的に私は卒業します

 

平成時代。

 

私はある意味、とらわれの身だった。自分自身の柱とは別のところで、社会の一員として生きることを要求され、その通りに生きてきた。「家制度」という枠の中で。

 

新たな時代。

 

真の解放を経て、社会の「ルール」とは別のところで自分なりの「ルール」の中で、きちんと「自立」と「自由」を確立していく。もちろんそのためには、自己責任が大きく関係してくることを肝に銘じて。

 

女性が新たな社会の中でより女性らしく輝いて生きるためには、女性自身が意識を変えていかなければならないはず。個人的に私は、それが今の時代の風なんだな、と感じています。

 

主人の両親には、実はかわいがってもらいました。それは事実です。が、家風になじめなかったのも事実。私には「保守的」な風は合わないのです、どうしても。

 

私の家風は、私が創る。この家が私の家なんだ、居場所なんだ。というか、家風 = 人、なんだから、そのままの私がすでに家風なのです。

 

将来的に、リゾートへの移住を考えています。

 

今は、まだ、この家が居場所であるのなら、ここでの生活を最高に楽しんでしまおうと、やっとそういう想いにたどり着きました。

 

自分の居場所に戻ってきた、私の心身魂が、「いまここ」に。

 

一周忌の法要は、義父が亡くなったという事実以上に、私に大きなGiftを授けてくれました。

 

あの家での「私」に戻ることは、これからはありません。

 

新たな自分が本当の自分であることをこれから一つ一つ証明していくのが、私のこれからの人生の歓びです。

 

 

 

 

 

 

 

※ 追記

 

当エッセイ執筆、2019/04/16。アップは18日になりました。

 

アップ直前に浮かんできたのは「父権主義」という概念。

 

さらに、女性の強い「恨み」の念が浮かびあがってきました。

 

家父長的家制度の中で、女性は「婚姻」という形で、「自分」を一回失います。その家の家風の一部となるように。そして「嫁姑」という関係が構築され、知らず知らずのうちに女性同士がいがみ合う。そんな創られた女性像がいつしか「自分」の姿になる。

 

社会の仕組みそのものが、女性の力を「抑圧」していたことに気づきました。そこから何を感じるかは人それぞれですね。

 

抑圧は、解放のための大きな力になります。思い切り、過去の抑圧を感じてしまうと自ずと大きな解放が生まれるのです。

 

私は解放の道を選びました。

 

 

 

 

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