ぎっくり腰がくれたプレゼント 4 

細胞は生きていますね。

 

そのことを今朝、実感しました。

 

当エッセイは、前エッセイ執筆の翌日の朝、書いています。

 

朝起きる時が一番大変で、その後のトイレもまぁ、大変。なのですが、今朝はすでに痛みの質と場所が大きく変わっていてビックリしました。

 

きのうまでは「ピキーン」という鋭い痛み。きょうは「ビギーン」くらいの鈍い痛み。痛みのか所も腰の上部、右背中メインだったものが、かなり下がっていて、いまはひざあたりまで痛みが拡がっています。

 

あの、「ピキーン」という痛みから解放されただけでもずいぶんと楽です。

 

細胞は生きていて、ちゃんと活動してくれているんだな、と改めて身体の仕組み、生命の神秘に驚かされる気分です。

 

痛みのか所がずれると、きのうまでのポーズはもう通用しません。きのうまで、背中をかばう動きがメインだったのが、今度はそれでは腰からひざにかけて鈍い痛みが出てしまうのです。

 

不思議なもので、身体はちゃんと次なる策を考えているようで、自然に身体の傾け方、力の入れ方を工夫してくれます。

 

健康な時には、細胞が生きてる、なんて気にかけることもありませんね。

 

身体の仕組みってすごいな、と感じることもありません。

 

そういうことを一つ一つ感じさせてもらえる。

 

私たちのこの命は、一瞬として、前と同じ、ということはありません。

 

それなのに、気持ちだけは「変化がない」とか感じているのですから、自分の身体のこと、全然理解できていないも同じです。

 

私たちは、毎日この身体と細胞に支えられて生きている。

 

細胞が死んだら。

 

身体が動かなくなったら。

 

そんなことも考えたこともないけれど、やっぱり生きている、というのは素晴らしいことだし、すごいこと。

 

私たちのこの肉体はとても精緻な仕組みで創られています。

 

そういうことを感じる機会は、皮肉にも身体を壊した時、体調を崩した時。

 

つまり、病気やケガの時。

 

ということは、病気やケガの存在によって、私たちは健康のありがたさや、その大元の身体の仕組みのものすごさに気づくことができるということではないでしょうか。

 

病気やケガはできるだけ避けたいのが本音だけれど、もし訪れてきてくれた時は、私たちが何かを忘れているよ、というあちらからの愛のシグナルなのかもしれませんよね。

 

それを「いけないもの」「敵」として「やっつけてしまえ」なんて、なんてもったいないことをしてきたんでしょう。

 

ちなみに、今回、病院には行っていません。

 

ぎっくり腰という状況を「味わおう」と決めたから。

 

何事も経験です。経験しなければわからないことがたくさんある。

 

動き出すことに臆病になっていた私への叱咤激励なのかもしれません。

 

腰、というところに潜在意識からのメッセージが届いたことにも大きな意味があります。それを一つ一つ解読することで、今の症状は軽減していく。

 

そのプロセスを味わうための「ぎっくり腰」なのですよね、きっと。

 

こんな感じなのでこころが不安に傾きすぎることもなく、そのお蔭なのか痛みの体感はかなり少なくなっています。自然治癒力のサポートを感じます。

 

 

 

 

 

 

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