一週間ぶりのお散歩

きのう、きょう、と一人でお散歩。

 

ぎっくり腰の痛みはほとんどなくなっていますが、大事を取って愛犬・華実は家でお留守番していてもらうことに。

 

サクサクと歩けます、肉体はかなり整いつつあるようです。

 

歩いていて気づいたのは、私は愛犬とのお散歩時でさえ、それなりにストレスを感じている、という事実です。

 

歩きたいから。

 

自分が気持ちいいから。

 

そういう気持ちでいたはずなのに、実は、「華実のため」という大義名分を勝手に創りあげていた様子です。

 

「誰かのため」「何かのため」、このうっとおしい性格は生まれついてのもの。

 

実際、私は何かにつけて大義名分を探していることにも気づきました。

 

例えば、スポーツ・クラブに行く時には、「身体にいいから」とか。

 

本を読んでいる時には、「何かヒントが欲しいから」とか。

 

純粋にそれをしたいとハートが感じているから、というのは残念ながらなかったみたい。

 

つくづく「解放」の下手な魂なんだな、と。

 

でも、このことに今、気づけたのは、すごいことなんじゃないかと。

 

何かをする時に「大義名分」を求めているという事実を認識すればいいんですものね。

 

「あ、今、私はハートではなく脳の指令によって動いている」と。

 

それが習慣化すると、そのうちハート優位の生き方に変わるような気がします。

 

今まではそのことにさえ気づいていなかった。

 

ぎっくり腰になったお蔭です。

 

きょうは、ご近所のばら園をはしごしました。数日みないうちに、薔薇は半枯れ状態。

 

それでも、今年は割と長もちしたような気がします。

 

バラって5月の花なんですよね。

 

ここ数年は、5月半ばくらいで花期は終わっていました。

 

今年はほんの少しだけど、花期はのびています。

 

そういう、ちょっとしたことも、気づかなければ見過ごしてしまう。

 

気づけただけで、なんとなく得した気分です。

 

わが家のベランダのピンクのミニ・バラはものすごい勢いでお花が咲き始め、まだまだ蕾もいっぱい。もうしばらく楽しめそう。

 

大きめのバラは、二つ目の黄色い花が開き始め、さらに4個くらいは蕾があります。全部咲いてくれるかはわからないけれど。

 

一人でお散歩できたお蔭で、こころに余裕が生まれたみたい。

 

何かの強迫観念、一つ解放できたみたいです。

 

いつもの習慣を手放してみる。すると、何か新しいものが視えてくる。ちょっとしたこと。

 

けれどたいていの場合、私たちは握りしめる癖があるので、新たな来訪者の出番を遮ってしまっているようです。

 

ハートにスペース。

 

このメッセージをくれたのは、薔薇なんでしょうか。

 

それとも華実、かな。

 

これからは、自分のため、のお散歩時間も創ろうと思います。

 

 

 

 

 

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