損得勘定の奥に潜んでいたものは ?

前エッセイをアップして、すぐに気づきました。

 

私って、いつも損得勘定しているのかも。

 

「お得」とか「得した気分」とか、当エッセイにもよく登場するキーワードです。

 

お得があれば損もある、損することを「いけないこと」と感じているのではないでしょうか、潜在意識ちゃん。

 

そう言えば、私は「人から利用された」と感じたこともあるし、「貧乏くじ引いちゃったな」と感じることもしばしば。

 

どちらかと言うと、犠牲者チックですよね、この捉え方。

 

人から理由されるかわいそうな運命。もしもそう捉えていたのなら、本当にその事実を引き寄せてしまいます。

 

その裏には、「利用するより利用される方がいいから」という真意が隠されているのではないでしょうか。

 

偽善者です、どう考えても。もちろん偽善者も、あり、ですけど。

 

例えば、その時に「ちょっと損したかも」と思ってもトータルでみると断然お得なことの方が多いし、そもそも損も得もなくて、すべては必然なのでは。

 

そうなるべくしてなった。

 

最高善ともいいますね。

 

この際、この手の言葉はおいといて、損も得も表裏一体、どちらもがあって、フォーカスしたところの光の加減の違いがあらわれるだけ。

 

「あ~、損しちゃった」と思う反面、本当はお得な出来事が同時に起きているのかもしれません。気が付かないだけで。

 

例えば呼吸。

 

私、もしかしたら息を吐くことを「損」と捉えて、息を吸うことを「得」と捉えていたのかもしれません。

 

呼吸は、吐くと吸う、で呼吸。片方だけで呼吸は成立しません。それなのに、「あ、今、損した」「あ、今、得した」と感じていたとしたら、そんな呼吸、とても不自然です、つながっていませんよね。お互いにバラバラの意識。

 

呼吸って循環システムのようなもので、吐くと吸うはいつもつながっていて、そのつなぎ目は、自然なもののはず。

 

損得勘定で呼吸をしていたら、その関係はギスギスして、とても不自然。

 

私の呼吸って、後者かも。

 

実は、きのう、ある本を読みました。

 

呼吸法の本。

 

なるほど、なるほど、と読み進めているうちに、すぐに読み終わってしまいました。

 

その本に載っていたエクササイズの、ほんの一部しか実践できていないけれど、もしかして「呼吸の精霊」のお蔭ではないでしょうか。呼吸の精霊ちゃんが、私のところにやってきてくれて、そのために本という媒介が必要だった。

 

自然な呼吸ができるようになると、人生が大きく変わる、というのがその本の論点です。

 

昨年の後半くらいから、私たちの人生にとって「呼吸」は最高級のパートナーだということに気づいていました。

 

スポーツ・クラブでのエクササイズ。基本的に私は呼吸法を取り入れたものしか行っていません。

 

また、日々の瞑想においても、呼吸の重要性が説かれ、その手の本も数冊読みました。

 

けれど、「呼吸法」というと、自然なものではないんです、厳密に言ってしまうと。呼吸を意識しないくらい自然にするのが本来の呼吸なので。

 

その、自然、を忘れているのが、私だけではなく、現代人のほとんど、なんですよね。

 

呼吸、息をする。これって「生きる」と = なんですって。

 

息が止まれば私たちは死にます。

 

息が自然なら、生き方も自然なんです。

 

不自然な生き方の奥に「損得勘定」があったのだとしたら、それをしっかり感じきれば、「損得勘定」の暴走もおさまります。程よい損得勘定はいいんです。ただ、基本のところで「損得勘定」をいけないこと、と捉えている場合、それが抑圧につながって結果的に大暴走しまくり、です。

 

呼吸が自然にできるようになると、それは瞑想状態と同じです。

 

そういう時に「癒し」が起きます、自然に。これは、「セルフ・ヒーリング」をしていてわかりました。

 

いろいろなメソッドがあるけれど、実は私たちの身体はとても精密にできていて、しかもシンプルな理論で成り立っています。

 

「呼吸」。

 

まさしく、一なるすべてからのGiftです。誰にでも平等に与えられている。

 

使うか、使わないか。

 

大切にするか、しないか。

 

すべて、私たちの自由。

 

赤ちゃんの呼吸はとてもスムーズ。動物の呼吸も。

 

私たちの先生は、身近にいますね。遠くのマスターを求めなくても。ちゃんとそういう風に創られているんです、私たちの命は。

 

 

 

 

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