エゴの肥大化

エゴの肥大化。

 

この言葉の意味するものは ?

 

私たちにはエゴがあります、エゴ、の存在です。

 

エゴは悪いものではないのですが、私たちを操ろうとする性格をもっています。

 

例えば、サイキックな能力、神秘能力が開花し、特別意識が膨らむ。この時、エゴは肥大化しています。その一方で、地に足がついていません。グラウンディングできていない状況です。

 

エゴはさまざまなシーンで大活躍します。

 

「あ、今、エゴ優位だ」

 

そう気づければしめたモノ。フォーカスするところをかえれば、エゴの肥大化は抑えられます。理屈的には。

 

実際には、なかなかエゴ優位を認めることは難しく、勢いづいたエゴはどんどん肥大化してしまいます。

 

サイキックな能力に限りません。スポーツしかり、芸術しかり、学問しかり。

 

エゴが肥大化している時は、自分を「神」のように感じることもあって、「神」ならずとも、自分は特別、自分は選ばれた人間、というように、自分のポジショニングをどんどん上げてしまいます、自分の意識の中で。

 

すると、本当の自分との間にかい離が起きます。同時に浮遊感が感じられるので、気持ち良くて、どんどんその状態にはまってしまいます。

 

これは誰にでも起こり得る現象、状況です。

 

エゴが肥大化している時は、「自分が一番」なので、たいていの場合、聴く耳を持ちません。周囲にいる人たちが、「それ、やめた方がいいんじゃない ?」と言っても、まったく耳に届きません、ハートに届きません。

 

そしていつか足元をすくわれる。土台がしっかりしていないので、大きなアクシデントに見舞われます。

 

そうなってはじめて、「あ、エゴが肥大化していたんだ」と気づけるのがほとんどです。そのアクシデントが、収拾のつく範囲ならいいのですが、時に大惨事となることも少なくありません。

 

私がこの、エゴの肥大化という概念を知ったのは、三年くらい前。

 

私自身ももしかしたら、と感じるところもあって、以来、地に足をつける、ということに意識的に取り組んできました。それでも、完ぺきにエゴがなくなることはありません。

 

そもそも、エゴをなくそう、と思うことは至難の業。どうやったってエゴはついてくる、エゴは影のようなもの、と捉えた方がいいかもしれませんね。

 

さて、このタイミングで「エゴの肥大化」についてお話しようと思ったのは、私の「ぎっくり腰」は、健康において、私自身がエゴを肥大化させていたよ、というメッセージなのでは、と気づいたからです。

 

私は幼い頃から、これといった持病はないものの、どちらかというと身体の弱い方で、いつも不定愁訴のような状態の中で生きてきました。

 

ところが、子宮腺筋症という、重篤な婦人病を克服させてもらってから、体調がすこぶる良くなってしまい、ここ十数年、微熱とか、ちょっとした咳などは出ても、内臓そのものにダメージを感じたことはありません。ヨーガ、太極拳、ピラティスなどのエクササイズのお蔭もあるのか、年を重ねるごとに、体調が良くなってしまっているようなのです。

 

そのことに「おごり」があったと。顕在意識では感じていなかったのですが、どこかで「健康の神様にかわいがってもらっている」ぐらいの感覚があったのではないかと。潜在意識の部分です。そのことに対して「ガツン」と、愛のムチ、それがあの突然の「ぎっくり腰」だったのかもしれません。

 

自分が身体が弱かった時の気持ちを忘れ、もしかしたら、体調不安のある人に対して以前ほど思いやりがなくなっていたのではないかと感じました。

 

「大丈夫だよ、私でも健康になれたんだから」

 

これは、実際私もヨーガの先生に言われて、納得が行かなかった言葉。その先生の場合は、「私も身体がかたかったんですけど柔らかくなりましたから、阿部さんも大丈夫。絶対柔らかくなりますよ」との言葉でした。

 

人の体質はそれぞれですから、先生にできたからと言って、同じように誰でもできるということはありません。それに、その言葉は言外に、「身体が柔らかい人の方が上」という意識があるのです、先生の顕在意識には、そんなことはこれっぽっちもないはずですけど。

 

それと同様、私の意識の中には「健康な人の方が上」というものがあったのではないでしょうか。無意識のうちに。そうだとしたら、それこそ「慢心」、ある意味、優越感に浸っていますよね、「私は今は健康よ」みたいな。

 

健康であろうと、体調不良であろうと、すべて「そうなるべくしてなっている」だけで、そこにその人の学びの課題が込められているわけです。体調不良の人には体調不良から学ぶ人生の課題が提示されている、ということ。そのこと自体に「優劣」なんてあるはずはなく、みんな自分の課題に向き合っているだけです。

 

私はその部分を忘れて、エゴを肥大化させてしまっていたのかもしれません。ぎっくり腰になって、かなりの不具合感を味わい、はじめてそのことに気づきました。

 

体調が悪い、というのは、理由はどうであれ、不便なことも出てくるし、つらいという意識だって出てしまう。

 

それを受け容れないで、「大丈夫です」なんて、軽く言うものではないなと。

 

今回、ぎっくり腰の症状が出た瞬間、「これはプレゼントだ」と感じたのはそのためです。

 

痛み、という現象に、あちらからの愛のメッセージが託されていることに気づきました。

 

私は、健康に関して、弱気になる時「不安」と、強気になる時「安心」のふり幅が大きいタイプなんでしょうね。

 

ここのところ、ずっと「強気」が続いていたので、ここら辺でちょっとバランスをとっておこうか、と、それが今回はたまたま「ぎっくり腰」となってあらわれた。

 

きょう、ピラティス・レッスンに行きました。楽勝だと思ったけれど、実際やったら、股関節と右のお尻と太もも外側が痛くて仕方ありませんでした。ピラティスの先生は、「絶対に無理はしない」という指導方針なので、休み休み、でレッスンを受けることができ、なんとか無事終わりましたけど、完治はまだまだなんだな、と再認識。

 

そうやって、自分の心身にじっくりと向き合うチャンスを今、もらっている、ということなのでしょうね。

 

エゴはいつ自分を膨らませようか、といつもチャンスを狙っています。

 

その事実を理解しておく。

 

するとエゴの肥大化にも対処できるようになります。

 

もちろん、できれば肥大化する前に気づける方が楽ですけど、こればかりはわかりません。

 

エゴを敵視しないで、上手につきあう。

 

その秘訣を今回、少しだけ教えてもらえたような気がします。

 

 

 

 

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