呼吸が教えてくれる

呼吸に意識を合わせて、自分の呼吸を感じてみる。

 

こんな呼吸法をはじめて、一週間が経ちました。

 

最初、すぐに息の動きを感じました。

 

ところがきのうあたりから、また以前のような鼻づまりのような状態があらわれます。

 

座って呼吸をしている時はスムーズ。横になると起きる鼻づまり。

 

このあたりに何かの意味がありそう。

 

「虚栄心」、きのうは鼻づまりの途中でそんな言葉が浮かんできました。

 

「欲求不満」、これは今朝浮かんできた言葉。

 

いずれも私の中にあるけれど、私がいけないものと抑圧し続けてきた意識なのだとすぐわかりました。

 

「虚栄心」のない人はいません。「欲求不満」がない人もいません。

 

ところが私たちはどこかで「虚栄心」「欲求不満」をいけないもの、少なくとも好ましくないものと捉えてしまっているようです。

 

「虚栄心」があるから、がんばれる。

 

「欲求不満」があるから、がんばれる。

 

こんなことにさえ気づけずに。

 

極端な言い方をすれば、ファッションだって一つの虚栄心。インテリアだって虚栄心かもしれないし、もしかしたら欲求不満のあらわれかもしれません。

 

芸術なんて、まさに両方を満たしているものなのかもしれませんね。

 

心理学的にきちんと分析したお話ではなく、今、なんとなく思いついた範囲でのお話です。

 

となると、虚栄心や欲求不満って、きちんと働きのあるものだとわかります。

 

それを抑圧していたら、なんともアンバランスなこころができあがってしまいます。

 

これらのことを呼吸が教えてくれました。

 

ただ、意識的に呼吸をしていたら、浮かびあがってきてくれたのです。浮かびあがってきてくれたものはしっかり感じきります。そうすることで抑圧が解放へと変わってくれるからです。

 

私たちはさまざまな意識や感情を「良いもの」「悪いもの」というフィルターを通して選別するというこころの習慣が身についています。

 

その時に良いものと思っても、時が経てば悪いものに変わっているかもしれません。

 

一方、その時に良くないものと思っても、時が経てば必要なもの、良いものというようにその性質が変わっているかもしれません。

 

健康情報などで、数年前の常識が、何年か後には非常識に変わっていることはたくさんあります。

 

その時に一気に「これが身体に良い」とフォーカスしてしまったら、後で「実はこれは身体に悪いものです」と言われた時に、なんとも取り返しのつかない気分にさせられます。

 

自分のこころの中から湧き出てくる感情、意識も同じなのではないでしょうか。

 

「良い」「悪い」だけで物事を決めてしまうことの危うさがわかりました。

 

そう考えると、呼吸をしている時の鼻づまりにもきちんと意味があって、鼻づまり = いけない、というものでもないということですね。

 

意識的に呼吸をする。

 

頭をシンプルにしてくれるものなのかもしれません。

 

一日にたった数分のことで。

 

 

 

 

 

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