反転の兆し

白黒が一気に逆転する時がある、オセロのように。

 

私はこれを反転の時、と感じます。

 

ここ数日、私はもしかしたら、ものすごく悲観的なのではないか、ものすごく不安、不満、不足、欠乏などに傾いているんじゃないかと感じていました。

 

そもそもの私は、かなり楽天的、かなり能天気タイプです。

 

けれど人の意識には、必ず両方の側面があって、楽天的だと感じていても、実は同じくらい悲観的でもある、とわかったのが三年くらい前のこと。

 

100%の善人はいない。そうなんです、どんなに素晴らしく愛にあふれた人でも、悪のない人はいない。

 

これは深層心理学の光と影の理論と共通した捉え方です。私自身、なぜか知らないうちに深層心理学の考え方が私の中から浮かんでくるようになっていたので、おそらく「光と影」の関係、統合などは私の人生の宿題の一つだったのでしょう。

 

そして悲観主義。それは時に敗北主義となってあらわれることもあります。

 

なぜ ?  あんなに楽天的だったはずなのに。

 

その理由としてあげられるもの。一つは母の死。母は突然死でした。数時間前に私と電話で話し、しかもごく普通の日常の中にいました。病気などで入院していたわけでもなく。

 

突然、呼吸が苦しくなり、自分で救急車を呼んで病院に運ばれます。その時に搬送トラブルがあり、その途中で容体が急変し、そのままあちらの世界に。ひとりで。

 

私は、おそらくその時の怒りや哀しみ、憎しみ、うらみ、つらみ、そして罪悪感などを100%昇華することができず、「神」という存在に猛反発を感じていたような気がするんです。今となっては、のお話、無意識のうちに。今までも母の死に関しては、ずいぶんと真剣に向き合ってきたつもりです。向き合ってきたからこそ、最後の大掃除として今、こういう形であらわれてくれたのかもしれません。

 

何をやったって、どんなにがんばったって、神様は私たちを守ってくれなんかしない。

 

駄々っ子のように、そんな想いを胸の奥にずっとしまい込んでいたのかもしれませんね。

 

もう一つの理由は、主人です。主人は、なんでもモノゴトの最悪の部分を視る人で、私とは正反対の性格。その考え方に触れて何度も心底気持ち悪くなったほど。

 

けれどその考え方は、私の中に「ゼロ」ではなく、主人よりは比率は低いかもしれないけれど、確かに私の中でも息づいていたものなのではないでしょうか。

 

大きく考えると、その二つが私の中の悲観主義を育てる肥料になったような気がします。

 

が、それを認識して、「自分は悲観主義だ」とここ数日感じることを意識的に行っていました。

 

そのお蔭なのか、今朝「反転」のメッセージを感じることができました。

 

植え替えたばかりの黄色いハイビスカス。元々蕾だけしかなく、それが今朝一つ、しっかりと花を開かせてくれました。

 

黄色のメッセージの中に「楽観的」があるということ、先日お話しましたね。

 

そう、あのハイビスカスを手にした時点で、私のハートは「悲観から楽観」へ反転することが決まっていたようなのです。

 

神への反発。正確に言うのなら、私の場合は「大いなる存在」への反発心のようです。

 

私たちを創って、自分から切り離してこの世に送り込んだくせに、そのあとは何もフォローしてくれないのね、という子供じみた反発心。哀しいのなら思い切り泣けばいいのにそれもできなくて、「もういい、一人で頑張るから」と意地を張りまくっていた気さえしてきます。

 

それが「楽観」へとシフトしてくれたということは、これからは不安、不満、不足、欠乏などへのフォーカスもかなり減るのではないかと期待しています。

 

悲観と楽観は表裏一体です。どちらが「良い」とか「優れている」ということはありません。おそらく生まれたばかりの頃は、ちょうど半々くらいのところで自分の中に存在してくれているのでしょう。

 

それが、成長と共に、たいていの場合、「悲観はいけないこと」との刷り込みから、できるだけ「楽観的でいよう」というこころの作用が働き、次第に「悲観はダメ」と強い力で悲観を抑圧するようになるのかもしれません。

 

もちろん、その比率、その膨らみ方は人それぞれなので一概には言えないところですけど。

 

悲観を抑圧しずぎると肺にトラブルが出やすくなります。肺に悲観エネルギーが蓄積するからです。すると呼吸器系全体に影響がでやすくなって、私のように、意味不明の鼻づまりが起きるようになったりもするわけです。

 

今までは鼻づまりに対して、好ましくないものと感じていたのですが、ここ何日か、呼吸に意識を合わせるようになってから、鼻づまりにもきちんとお役目がある、ということがわかってき始めました。

 

鼻づまりを受容したことになります。それに伴い、私の意識にも変化があらわれ、「もういい加減、悲観はいいでしょ」と本来の楽観タイプへとスイッチが押されることにつながったのかもしれません。

 

私は相当意地っ張りです。でもそれも個性。

 

意地っ張りな自分を痛めつけるのではなく、「あれ、また意地っ張りちゃんが張り切ってるよ」ぐらいな感覚で意地っ張りとも仲良くしていく。

 

そんな、自分の中の「和解」がまた一つ進みました。

 

よくペットとの出逢いで、「あちらからやってきた」とか「突然あらわれた」というシチュエーションを耳にすることがありますよね。

 

花も同じです。たとえ店頭に並んでいた花でもあちらの方から「連れて行って」ビームを出しているに違いありません。私たちにはそれを理解できなかったりキャッチできなかったり、が多いのですが、「あ、呼ばれた」と感じるような出逢い。きっとその感覚はあたりです、まちがいなく呼ばれているはず。

 

いつもなら、濃いピンクのハイビスカスを買う私が、真っ先に黄色を選んだのもきっとそのせい。

 

黄色はゴールドとも言われ、金運にも関係しているんだとか。

 

また人間のみぞおち付近には「太陽神経叢」という、文字通り体内ソーラー・システムのようなものが存在します。そこが正常に機能してくれれば、本来の性格により近づく、ということらしいんです。

 

今までは、あつい雲がかかっていたのかも。でもその雲のお蔭で、太陽の煌めきがよりクッキリと感じられるものなのかもしれません。

 

 

 

 

 

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