14年目の真実~ヨーガ編

本日、ホット・ヨガの日。

 

私が受けているホット・ヨガは、一般的なそれよりも室温が少し低めです。

 

先生の指導方針は、呼吸法中心。アーサナ、ヨーガの型、ポーズなどをアーサナと言います、これはほぼパワー・ヨガと同じものですが、一時間のレッスン中、最初から最後まで呼吸法の誘導をしてくれます。

 

実はこの手の先生は、ほとんど皆無。どんな先生も「呼吸を止めないで」との指導をしてくれますが、実際にどのタイミングで吐き、吸い、をすればいいかの誘導はありません。

 

きょう、ビックリしたのは、息を吐く時は無理やり力を入れて吐くのではなく、自然に優しく、そぉっと吐き出すという点。また、息を吸う時は、頭のてっぺんまで息が届くようにイメージしながら、という点です。

 

今まで、10人強の先生のレッスンを受けてきましたし、きょうの先生のレッスンも半年くらい続けていますが、そのポイントは、「お初」のものでした。

 

どう考えても、私自身の何かが変わったためとしか思えません。

 

鼻呼吸による腹式呼吸。きょうは一度も詰まることはなく、はじめて、「ああ、これが呼吸に合わせて行うヨーガなんだ」と実感することができました。

 

身体の柔軟性を求められるアーサナの中で、いつもいつも「できない」「痛い」「苦しい」と感じていた今までのレッスンは何だったんでしょう。

 

その中でも、きょうの先生との相性は一番良いようで、先生のレッスン中は、たとえできなくても「できない」という意識をほとんど感じずに済みました。

 

が、きょうのレッスンはそんなレベルではなく、ちゃんと自分の身体と対話できた感覚なのです。

 

個人的な自己分析によると、今までの私の潜在意識は、ヨーガのレッスンは自己否定を伴うもの、苦しみを伴うものでなければいけない、と感じていたのかもしれません。

 

それが、何かが外れて、「自分流」という自己肯定のエネルギー・モードに変わったんだな、ということを感じました。

 

今までの私は、大衆、だったのです。みんな一緒のマニアルの中のその他大勢のひとり。

 

やっと、自分が主、の時代に入ったのですね。

 

自分が主、誰の人生においても、その人自身が主、ということでしょう。

 

アーサナ中心のヨーガ・レッスンに煮詰まり、何度も卒業しようと思ったけれど、どうしても、完全に卒業することができなかったのは、その先に「きょう」という日があったからなのかもしれません。

 

身体はあいもかわらずかたい。けれどそのことに関するコンプレックスはなくなりました。

 

かたい身体には、きちんと意味があって、そんな私でもできる「私流」を貫くことがヨーガの本当の意味なのかもしれないな、と。

 

今朝、カウンセリング・セッションの当日キャンセルが出たため、睡蓮のある公園に足をのばしてきました。一駅くらいはあるでしょうか、先日買ったママチャリ、大活躍です。いつもは主人と車でしか行ったことがない公園なのですが、気分の良い朝だったので、思い切っていってみよう、と。

 

睡蓮に逢いたくて。

 

その公園の名前には「弁天」というキーワードが含まれています。

 

「弁財天」「弁天さま」の「弁天」。私的にはサラスヴァティーの方がシックリきます。

 

あの睡蓮には、サラスヴァティーの何かがつながっているんだろうな、と以前から感じているんです。

 

ヨーガ・レッスンは午後から。音楽をかけながらのレッスンですが、その音楽もいつもとは異なり、カタカナで書いちゃいますね、「オン・ナマ・シヴァヤ」とか「ガラパティー」とか、シヴァ神がらみ、ガネーシャがらみのマントラを含んだ音楽でした。

 

その辺になると、かなりの得意分野。時々一人で意識で口ずさんだりしながら。

 

ちなみにレッスンはプール・サイド、ジャグジーの横。

 

サラスヴァティーは水神の位置づけ。

 

ちなみに睡蓮の花言葉は、「純粋なこころ」「清浄」だそうです。

 

咲いていたのはピンクのみ。ピンク色の睡蓮の花言葉は「信頼」なんだとか。

 

すべて女性性に関するものだというのも睡蓮の大きな特徴だと言います。

 

サラスヴァティーちゃんは女性神ですからね。

 

自己信頼、かな、きょうのメッセージは。

 

純粋に、清らかに、自分の真ん中を見つめてね、という。

 

女性性のさらなる開化。これは私だけへのメッセージではないはず。

 

 

 

 

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