足首のケガに託された愛のメッセージとは ?

足首の捻挫、ほぼ完治です。

 

きょうは、家で太極拳と中国・気功系エクササイズをしました。元々、太極拳とは相性が良いのか、気が流れるのをすぐに感じることができました。

 

私の場合、フィジカル・ケアも東洋系の方がしっくりくるみたいです。

 

さて、ケガには必ずといっていいほどプラスのメッセージが託されているんだとか。それを自分でひも解くのもケガの醍醐味だったりします。

 

私のケガは、厳密には足首ではなく、くるぶしの下あたり。東洋医学的に視ると、ストレスによる冷え、女性ホルモンのバランスの崩れ、などが原因としてあげられていました。

 

基本、東洋医学系は「ストレス」が原因と考えますから、その「ストレス」の原因が何なのか、それを自分なりに探っていきます。

 

足は歩くこと、前進に関係していますね。

 

歩くこと、前進に関して、何らかの戸惑い、不具合などがあったと考えられます。

 

なるほど、とピンときたのは、お散歩です。

 

私は愛犬・華実とのお散歩時、どうしても時間だったり、歩数だったりにとらわれていたことに気づきました。きょうは一時間歩けたね、歩数も一万歩こえたね、というように。携帯の万歩計機能が、私の一つの縛りになっていたのです。

 

去年の前半、「グラウンディング」というメッセージが湧きおこってきて、とにかく「歩く」ことで地に足つけよう、地球とつながろうと思ってきました。

 

それがいつの間にか、「歩かなければいけない」「グラウンディングしなければいけない」「そのためには一日一時間くらいは歩かなければいけない」という義務感につながっていたようです。

 

「今の歩き方は正しくないよ。今の前進の仕方には不具合が感じられるよ」

 

それが足のケガからのメッセージでした。

 

これからは、楽しく、歩きたいように歩けばいいんだよ。グラウンディングはうまくいったよ、もう気にしすぎないで。ただ地球と呼吸を合わせて、華実と呼吸を合わせて、周りの自然とも呼吸を合わせて。そうやって自分自身に寄り添いながら、時間なんか気にしないで、自由に大らかに歩けば、ちゃんとうまい具合に行くから。

 

そう、私はなんでも「がんばり」が入ってしまうタイプ。それはそれでメリットになることもあるし、今回はもうそのがんばりは手放して平気だからね、というメッセージが届いたというわけです。

 

人間にとって、歩く、ということはとても大切なこと。同時に動物君にとっても、本来はとても大切。猫ちゃんの場合、お散歩に連れて行ったりはむずかしいし、また外出自由という環境も現実にはむずかしい。だから家の中でとにかく自由に動き回ってもらえるように、私たちパートナーには、そんな気遣いが必要なのではないでしょうか。

 

わんちゃんの場合、お外でお友達に逢うということも大切だし、大地と接点を持つことも大切です。わんこがいてくれると、私たちには義務感が発生がちですがその一方で「一緒に歩いてくれる仲間がいるから」怠けないというメリットも出てきます。

 

動物君と暮らしていない場合は、一人でのお散歩時間をゆっくりと過ごせますね。

 

みんなそれぞれ状況は異なります。

 

そんな中で、自分にピッタリのお散歩スタイルを楽しめばいいのです。

 

エクササイズ目的の人にはウォーキングが合うでしょうし、私みたいな怠け者タイプはわんこに連れられて。歩く瞑想というのもあるらしいですよ、ただ無心で歩く、という。以前少し試してみましたが、私にはちょっとむずかしくて、ですので、道端のお花や樹々に話しかける気分で一人でゆっくり歩く時間も創ったりしています。

 

携帯の万歩計機能は便利だけれど、場合によっては縛りにつながることがわかりました。

 

その辺は、自分自身の調整の範囲でどうにでもなるでしょうから、私はただ歩く、という時間を華実と共にさらに楽しんでいこう、と新たな気持ちが生まれてきました。

 

これって、ケガの功名ってヤツ、ですよね。

 

ケガもあちらからの贈り物だということ、今回も実感させてもらえましたよ。

 

うまく歩けないという時間を持つことで、いかに私たちの身体が完ぺきな仕組みになっているかを感じることもできました。ほんのちょっとのひねりで、あたりまえだと思っていた「歩く」という行為があたり前にできなくなるのですから。

 

この世界にあたりまえは存在しないのかもしれません。すべてが奇跡、というのはそういうことでしょうか。

 

 

 

 

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