自分の弱音、泣き言を聴いてあげよう

あなたは自分の弱音を許してあげていますか。

 

泣き言を言うことを温かく見守ってあげていますか。

 

日本人は感情を抑圧することが美徳だとされているので、なかなか弱音を吐いたり、泣き言を言ったりができなくなっています。

 

特に「おねえちゃんなんだから、我慢しなさい」とか「男の子なんだから、弱音を吐くんじゃないの」と言われた人は。

 

綺麗な言葉を使いなさい、美しい言葉を使いなさい。

 

そう言われた人も、ではないでしょうか。

 

口から出る言葉は麗しいものでなくてはいけない。

 

そんなことないのに。

 

外出先で友人にばったり逢いました、彼女は咽頭炎で声が出ないと言います。

 

それでも彼女はがんばるのです、「声は出ないけど、身体は元気だから」。

 

身体は有機的に創られているので、全体の免疫力が落ちている時に、自分の弱いところに症状があらわれることがほとんどです。

 

そう、彼女の場合、何らかの精神的ストレスがあって、それが原因でノドにトラブルがあらわれた。

 

身体は疲れたよ、休みたいな、ゆっくりしたいな、と言っているのです。

 

実際、ノドに集まる感情は怒りだとも言われています。何かものすごい怒りを抑え込んでしまったのかもしれませんね。

 

こころの状態が身体の症状となってあらわれる。そういう考え方をしていたら、彼女も自分を休ませてあげようという気持ちになれるかもしれません。

 

「大丈夫、元気だから」

 

ちっとも元気ではないでしょ。

 

今までもその友人とはそんなやり取りを何回も繰り返してきました。私が彼女に言えるのは、「疲れてるからだよ、ちゃんと休んでね」、それくらい。

 

彼女は自分の弱音が許せないのです。自分はいつも健康でいなければいけないと思っているのです。体調を崩したことに罪悪感を感じているのかもしれません。

 

ふと、私にも同じところがあるのかな、と感じました。

 

弱音を吐いたり、泣き言を言ったりするのは、恥ずかしいことでもなんでもありません。

 

怒りの感情を表に出すことだって、いけないことではないのです。

 

みんなもっと自分に正直に、自分に優しくなれたらいいのに。

 

そうしたら、人にももっと優しくなれますよね。

 

まずは弱音、泣き言をネガティブなことだと思いすぎないように。

 

必要だから出てくる感情です。

 

「今、すごい不安なんだ」

 

その一言が言えたら、こころと身体はずいぶんと楽になるのではないでしょうか。

 

がんばる人、がんばりすぎる人に、そろそろお休みあげたいな、私の権限で。

 

そんなことは何の役にも立たないので、自分で自分に許可してあげませんか。

 

弱音、泣き言、なんでも受け止めるからね、って。

 

不安のない人なんて、この世にはいないんです、みんな不安を抱えて生きている。

 

恥ずかしいことでも、愚かしいことでもなんでもない。

 

生きていくうえで、成長するうえで、とても大切な感情なんですから。

 

不安をたくさん感じた先に、視えてくるのは安心。

 

不安に光を当てれば、それはおのずと安心感に変わるのです。ほぼ例外なく。

 

今、私はなんの不安を抱えているんだろう。

 

自分自身に聴いてみようかな。 

 

ちゃんと教えてくれるかしら。「私」ちゃん。

 

 

 

 

 

 

サイト内検索

お問い合わせ

メモ: * は入力必須項目です

ページTOPへ戻る