特別意識との和解

 

どうやら私は特別意識をもっていたようです。正確には、「私たち」は。

 

特別意識ではなく、普通意識。

 

例えば特権階級ではなく、みんながフラット、のような感覚。それを好ましいと思いすぎていたみたい。

 

特別意識を膨らませるのはよくないこと、と特別意識を「特別」なことと思っていたようなのです。

 

特別意識はよくない、特別意識は特別なこと、と感じていれば、特別意識を感じただろう自分に罪悪感を抱きます。

 

そう、顕在意識では「特別意識をふくらませるのはあまりよくない」と感じていて、その一方で潜在意識では、「特別意識はあってあたりまえ、ふくらませてあたりまえ」と感じていたとしたら、顕在意識の力が潜在意識を抑え込んでしまいます。すると、そのうち、潜在意識に特別意識がたくさんたまってしまって、それが「表に出たいよ」と大暴れし始めます。

 

昨日から何回も「これは特別」「今回は特別」「特別なあなたに」というフレーズに遭遇しました。

 

これは特別意識に対するメッセージだな、と感じていたら、なんだ、私自身が自分を「特別視」していて、しかもそれに対して「罪悪感」を感じていたんだ、と気が付いたのです。

 

特別意識は、誰の中にでもある意識、感情です、それ自体は良くも悪くもありません、そういう意味でフラットな価値のものです。

 

ところが、私たちの個人的フィルターがそれを「良いこと」「良くないこと」とジャッジして、そのジャッジの結果を自分の中にためはじめてしまいます。

 

私の場合は、「特別意識はよくないもの」との思い込みが強くなって、これを「観念」と言います、その「観念」に対する罪悪感がピョコピョコと顔を出して自分自身を攻撃していたようなのです。

 

「こうしなければいけない」

「こうあるべき」

 

といった観念は誰にでもあるもの。それが膨らみすぎると自分で自分を攻撃し始める。

 

この公式を覚えておくと、今の自分の観念はこれなんだな、ということがわかり、その思い込みに居場所を創ってあげることができるようになります。

 

ダメだよ、出てきちゃ、ではなく、出てきてくれてありがとう、と。

 

これが受容、あるいは自己肯定、自己統合と呼ばれる意識の捉え方です。

 

がんばり屋さんやまじめなタイプは、ついつい、この「思い込み」を膨らませてしまいがち。結果、その「思い込み」が自分への攻撃になってしまいがち。

 

誰にでもあるこころの傾向、考え方の癖です。

 

あ、自分はちょっとその癖が強いんだ、と認識してしまえば、それは受容につながり、その後何回も同じようなパターンを繰り返さなくても済むようになります。

 

今、出てきてくれた「特別意識」ちゃんに感謝。

 

これからは、上手に特別意識と付き合っていけそう。

 

 

 

カウンセリング&電話相談

 

 

 

※ 追記

 

きょうもスコール。雨には「暗闇の無意識的な状態の中に光が見えだした状態」(『ユング心理学へのいざない~内なる世界への旅』秋山さと子著)という意味があるそうです。

 

お昼、外出時に目の前をカラスが横切りました。カラス君も暑いようで口をあいて息をしていました。カラスは縁起の悪いモノとする説もありますが、私はカラスにもきちんとお役目があってこの世に存在していると捉えています。「黒は創生の色であり、新しい命が生まれる子宮の象徴」(『アニマルスピーク~自然の力を借りる』テッド・アンドリューズ著)らしいんですよ。「濡れ羽色」といわれる漆黒の羽根が紫色に光り輝いているところもあって、美しい姿を楽しませてもらいました。

 

ちなみに鳥が目の前を至近距離で横切った時は、幸運が舞い降りる、との意味もあるそうです。

 

雨とカラスに共通しているのは、「闇の光化」と視ましたが、さていかがでしょう。

 

 

 

 

サイト内検索

お問い合わせ

メモ: * は入力必須項目です

ページTOPへ戻る