自然霊につながる

 

自然霊とは、なんでしょう、そもそもその手のものは存在するのでしょうか ?

 

さまざまな捉え方があると思います、以下は今の私の捉え方は、という観点のお話です。時間が経ったらまったく異なる捉え方をしているかもしれません。何しろ視えない世界の話なので。

 

自然霊とは人間になったことのない霊のこと。いわゆる妖精や精霊、また龍神や天狗、そして天使、さらに神社にまつられている人霊以外のものをすべて自然霊というらしいのです。らしい、としているのは、私は自然霊を目で見たことがないから。

 

自然霊は気象にも関係しているとかで、一般に「龍神」は川とか水の流れに関わりがあって、雨にも関与しているんだとか。風は天狗が関り、竜巻などは龍神が関わっていると。

 

今回の台風がまだ西の方にいた時、私は地球から、「私とつながって」というメッセージを受けていました。言葉が聴こえてきたのではなく、概念が私の中から浮かびあがりました。同時に「自然霊につながって」とも。

 

なんでも自然霊には特有の形があるわけではなく、またその名称も人間が勝手に名付けたもので本来はすべて「神気・神の気(特定の神ではなく大いなる存在という意味)」なのだそうです。その気が何らかの働きを持つ時、例えばそれを便宜的に「龍神」「妖精」「天狗」「天使」などと名前をつけて使い分けをするんだとか。

 

そう、大元はすべて「神の気」。プラーナ、氣、マナ、つながりました ! でお話したように、ヨーガの概念ではプラーナと呼ばれ、太極思想の概念では氣と呼ばれ、ハワイではマナと呼ばれる生命力の源のエネルギーの意味。私たちは同じようなものを立場の違い、解釈の違いで別の名前を付けて定義しているようなのです。

 

自然霊もまた生命力の源のエネルギーからできているとすると、自然霊につながって、というのは、自分の丹田を意識して生命エネルギーと同調してね、と同じ意味だと受け止めました。それを例えば「氣」と呼ぶのか「龍神」と呼ぶのかの違いなのかもしれません。

 

台風が来る前に自然霊につながってというメッセージを受けた私は、何が何だかわからないけれど「自然霊さん、つながって」という意識をもって深呼吸をしてみました。そしてベランダに出たら、プラーナらしきものが大量に目に映りました。プラーナは目には視えないとする説もありますが、私の知っている情報の範囲だとあれはおそらくプラーナではないかと。雨の中でものすごい数のプラーナが輝いていました。

 

あ、自然霊というのは生命力の源のエネルギーのことなんだとここで点と点がつながりました。自然霊とつながる、というのは自然霊のエネルギーと同調して、ということなのでしょう。そしてそれは生命力の源のエネルギーでもある。

 

これと同調するということは、自分自身も「神気」の一部になること、自然の一部になること、肉体はあるけれど自然霊の仲間に入れてもらうこと。

 

そんなことを感じていたら、台風への恐怖がパタッとなくなりました。気持ちが落ち着いたままで台風一過を迎えることができたのです。

 

自然霊というと何か特別な存在のような気がしますが、生命力の源のエネルギーというともっと身近なものに感じませんか。私たちの大元のエネルギーということですから。

 

この捉え方がしっくりくるかこないかは人それぞれだと思います。

 

もしもしっくりくる場合は、雨風の予報が出た時に不安が襲ってきたら「自然霊とつながる」という意識を持ちながら丹田に力を入れて深呼吸をしてみるのはいかがでしょう。深呼吸そのものはリラックス効果につながるし、別に自然霊とつながった感じがしなくてもそのこと自体悪いものではないはず。

 

実は、自然霊のことを考えながら愛犬・華実とお散歩をしていたら、頭上に大きな虹のような雲があらわれたんです。視方によっては「龍神」とも取れなくはない雲。しばらくして消えたんですね、その雲が。「あれ、やっぱり龍神だったのかしら」と思ったら、またもう一回同じような形の雲が別のところにあらわれて、数歩歩いたらポツポツと雨。

 

龍神は雨にも関わっていると最初にお話しました。

 

あの雲が龍神エネルギーの意思によるものなのかまったくの偶然なのか、個人的にはどっちでもよくて、それより自然霊のことを考えると自然霊のエネルギー、つまりプラーナだったり、氣だったりにすぐつながれるようになっていることの方が驚きました。

 

ということは意識すればすぐに自然の一部への仲間入りができるということ。仲間入りができると、自然の猛威が怖くなくなるということ。

 

ちょっと遠回りのお話になりました。不安を感じたら、丹田を意識して深呼吸してみたらどうですか、が当エッセイの主旨です。それが自分の「真ん中」。

 

あえて自然霊という言葉を使ったのは、自然霊は私たちのすぐそばに「在る」ものだから。形あるものではなくても。そして私たちとそれらは本来一つの何かとつながっている仲間だから。

 

少しも科学的な話ではないです、科学畑の人には申し訳ないけれど。

 

私は、なんですけど、自然霊という現象はこの世にあると想うし、それらが自分とつながって、と感じてくれているのならありがたくつながらせてもらって、一体感の中で安心を感じてもいいんじゃないかと感じています。

  

仮に私が人より少しだけ自然霊との同調能力が高いのだとしたら、それはもしかしたら愛犬・華実、愛猫・海・うみ、そしてたくさんの犬猫ちゃんとわが家のベランダの花たちのお蔭なんじゃないでしょうか。動物も植物も自然、当然自然霊との相性はばっちりのはず。そのおこぼれにあずかって私も自然霊とつながりやすくなってしまったのかもしれません。

 

自然と縁遠い環境で生活している場合には、鉢植えの花を買って部屋で育てたり、微生物との関係を見直したり、でも良さそう。なんでもいいから「自然」を生活の一部にとりこんじゃうことですね、きっと。そこに意識を寄せる。完ぺきなナチュラリストじゃなくても平気なんじゃないでしょうか。自然は私たちが感じている以上に懐が深いはずだから。

 

今まで自然霊にはあまり興味がなかったのですが、植物の精霊というような感じでは大いにあり、と感じていました。その範囲が拡がったのか、私のセンサーの幅が拡がったのか。また自然にはNatureの意味の他に「自然・じねん」「自ずから然(しか)らしむ」の意味があります。この辺も関係しているのかもしれません。

 

自然霊について〇〇さんはこう言ってますよ、という意見が出てくるかもしれませんが、人の人生の課題はそれぞれですものね、私には私だけの感じ方があって当然。もちろんその方にもあなたにも。それでいいんじゃないのかなと思います。

 

 

 

カウンセリング&電話相談

 

 

 

※ 追記

 

当エッセイは文章がスムーズに流れていません。たくさんの存在が関与している様子です。彼らは「早くこれを書いてアップして」と私の背中をおしてくれたみたい。エネルギー半端ないエッセイに仕上がっています。

 

 

 

サイト内検索

お問い合わせ

メモ: * は入力必須項目です

ページTOPへ戻る