私が生きるのは私の家

 

家は心理学的にみると「自分自身の基盤を作ってくれるものの象徴」なんだとか。

 

「私が生きるのは私の家」というメッセージが浮かんできました。さらに解釈すると、「私の意識の基盤は私自身の家にある」という意味だと。

 

私は今まで父が作った「家」と義父が作った「家」とのはざまで揺れながら生きていたことに気づきました。そこにおさまっていることで時には居心地の良さを感じ、時にはどうしようもないほどの不快感を感じ。特に父が作った「家」の価値観は私にとって絶対だったということに。言葉をかえれば、父はあの「城」の王であり、父の価値観は私の法律でもあったということです。

 

父の城は崩れ去りました、私の意識の中で。同時に義父の城も崩れ去りました。これから私が生きるのは私だけの家。この「家」は意識そのものであって、現実の家ではありません。私自身の意識のことです。

 

家は基礎固めが大事。どんなに立派な上物を用意しても基礎がゆるければその家はいつか崩れてしまうことも。基礎、土台。私にとって一番大切だったのは、自分自身の意識の基礎固めでした。その基礎は地球と直結しているものでした。

 

地に足つけて、という言葉があります。スピリチュアルの世界では「グラウンディング」という言葉で表現されることもあります。

 

ここ数年私には「グラウンディング」のメッセージが何度も届いていました、浮かびあがっていました。その言葉通り、私は愛犬・華実とお散歩をしました。同時に丹田を意識して深呼吸もし続けました。気持ちがフワフワしそうな時ほど足元のエネルギーに意識を寄せて。

 

やっと自分の家の地盤が固まりました。意識の基盤ができました。現実の家には主人も華実も愛猫・海・うみもいるけれど、意識の家には私しかいません。私だけの城。その城は背が高くなくてもいいのです。ただただ私にとって居心地の良い「場」であれば。

 

その城はどこにあったと思いますか ?

 

自分自身の「真ん中」にあったのです。意識の基盤が自分自身の中にあるということは、すべてのものが自分の中にあるということ。

 

これは誰にでも言えることかもしれませんね。そう認識するかしないかは別にして。

 

きのう、わが街では海のそばの公園でイベントが行われ、その中でのバリのガムラン演奏とバリ舞踏に呼ばれ、観てきました、触れてきました。呼んでくれたのは、バリの「氣」でしょうか。バリはヒンドゥー哲学エリアですからヒンドゥー的に視ると「プラーナ」かな。

 

私はバリが大好き。過去、何回もバリに行っています。アジアのリゾートはどこでも好きですが、バリとの馴染み観はダントツ。ところがここ数年、テロがあったり、火山の噴火があったり、気象が安定していないことも多く、ちょっと足が遠のいていました。

 

「あなたが来ないなら私の方で行くから」

 

そんな温かいエネルギーを感じました。その後、海のそばのホテルの外階段に座りコーヒーをいただき、そして家に向かったその時。

 

空に虹型の大きな彩雲が二つあらわれました。

 

彩雲(さいうん)とは、雲そのものが虹色を発しているように目に視える雲のこと。古来から瑞相(良いことが起きる前触れ)の一つと言われているそうです。彩雲の他に瑞雲も瑞雲(ずいうん)、慶雲(けいうん)、景雲(けいうん)、紫雲(しうん)と呼ばれるんだとか。この字をみただけで意識が拡がりませんか。

 

最初、目の前にちっちゃな彩雲が視えるなと思ったら、それが丸の形に近い大きな彩雲であることに気づきました。すっごぉい、と思っていたら、そのそばにもう一つ大きな丸型の彩雲があることに気づいて、いゃあ、すごぉっい、と思ったら、まるで二つの虹が背中を向けるようにダブルで並んでいるかのように視えたのです。

 

虹には希望、完成の一歩手前という意味があるそうです。確か神様との和解という意味もあったような。約束通り、という意味と同時に。

 

さまざまな説があるようですが、私にとっては彩雲は吉兆そのもの。今から起きることは何であれ、すべて歓びの種なのです、私の中では。

 

これは今の私の意識のお話ですべての人に共通して言えることではありません。ハートに響くようなら何かのご参考に。

 

 

 

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※ 追記

 

おとといピラティス・レッスンを受けてきました。ピラティスは体幹を整え強化すると言われるエクササイズ。確かピラティスをはじめて二年目だったような。初、の出来事が起きました、レッスン中に手から「氣」が流れ出しているのです。

 

太極拳は最初から手の「氣」の活性化を感じることができました。ヨーガでは手からの「氣」を感じることはほとんどありません。ピラティスでも感じましたよ。ピラティスは胸式呼吸です、深呼吸をしながらのエクササイズです。

 

腹式であっても胸式であっても深呼吸をすれば手から「氣」が流れ出すのかもしれません。ということは深呼吸によって「氣」の活性化が起きるということ。

 

前エッセイ自然霊につながるでお話したように、プラーナも氣もマナも ほぼ同じもの、生命力の源のエネルギーのことです。

 

多分、簡単なストレッチやラジオ体操でも深呼吸しながらのものであれば氣は活性化するのではないでしょうか。同時に生命力の源と同調できるのではないでしょうか。

 

動物君はもしかしたら、いつも「深呼吸」状態なのかもしれませんね。だから彼らは源とのつながり感が強い。

 

 

 

 

 

 

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