【更新】魂の奪還・帰還

 

当エッセイは2019/10/31にアップしました。その日の夜感情の膿み出しというGift 現象が起きました。魂が真ん中に戻ってもまだまだ私たちには浄化というプロセスが必要だ、ということですね。

 

『魂の奪還・帰還』

 

魂が旅をしていました。

 

戻ってきましたよ、自分のところに。本来あるべきところに。

 

奪還、としているのは、以前の感覚をお知らせするため。

 

本来は帰還です、ただ帰ってきた。還ってきた。

 

後でまた追記します。取り急ぎあなたへのお知らせまで !

 

 

※ 追記

 

魂がフワフワと空中浮遊していました、私の感覚では。正しい定義、という意味ではなく。

 

あっちにいったり、こっちにいったり。ちょうど「人魂・ひとだま」みたいな感じ。

 

でも本来魂は、身体のど真ん中にあって、もしかしたら寝ている時は勝手に旅をするのかもしけないけれど。これもみんな「感覚」でのお話。何も調べていません。その魂がやっと自分の真ん中に戻ってきた様子なのです。

 

これはハラのこと ?

 

欧米では魂というと「ハート」を意味することが多いのですが、日本人の場合は「ハラ」なんです。そもそも魂の居場所さえ違う感覚で捉えている。そういう微妙な違いが価値観の違いを生み、異なる文化を創造し、それに対してどちらが正しいとか言っていたって仕方ないじゃないですか。

 

自分にとっての正義でいいんですよ、誰が、じゃなくて自分はそう感じる、で。でも他の人はそうは感じない。それもそうだよね、で。私たちの命、魂はみんな「それぞれ」なんです、大元は一緒でも。100%同じという魂はおそらく存在しない、細胞と同じですよね、きっと。

 

そんなこんなのことを話していると長くなってしまうので、「もとい」。

 

フラフラ、フワフワしていた魂がやっと自分のところに還ってきました。

 

そのキッカケは「嫌い」という感情との仲直りです。

 

私たちは「好き」はいいけれど「嫌い」はいけないと思っています。「あの人のことが大好き」はよくて、「あの人のこと大嫌い」はよくないと。同時に自分のことを好きな人は良い人で自分のことを嫌いな人は悪い人とも。人に嫌われたくないので、人の顔色をうかがい、時々ご機嫌とりまでして、なんとか「嫌われない自分」を取り繕います。

 

でも本当は嫌われているのかもしれませんよ、相手がそう感じさせないように取り繕っているだけで。

 

そうなったら仮面合戦です、お互い本音、本心はみせないようにして。

 

そういうことをしていれば自分自身の本心だってわからなくなってしまう。自分のことが大嫌いになっても気づかない。

 

特に私の場合は「善人信奉」が強くて、「善い人でいなければ」「善い行いをしなければ」と思っていたことに気づきました。

 

良い、悪いの基準なんて人によって違うもの。正しい、まちがいの線引きだって人によって違うもの。何が善人で何が悪人か、その基準だって人それぞれなんです。

 

自分は善人のつもりでいても「アイツ、メチャクチャ計算高いよね」と受け取る人がいないとは限らない。

 

結局自分の評価を人に任せている限り、私たちはフラフラ、フワフワしっぱなしなんです。

 

そこで自分の中の「大嫌い」という感情と仲直りしたら笑いばっかり出てきてしまって。

 

「あぁ、私はこんなにも嫌いという感情を自分の中に抑圧していたんだな」とわかりました。

 

その後外出したら、身体が軽い、軽い。自然たちとの共鳴度合いが半端ないんです。

 

「あぁ、これこれ。私も自然の一部だった。ずっと忘れていたこの感覚。良かった想い出せて」

 

ここにいたるプロセスは語り出したらエンドレス。

 

ただ、きのうの時点で何の根拠もなく、「明日はエネルギーが激変するから」と感じていて、本当にその通りになりました。

 

魂がやっとわが家に還ってきた。

 

「おかえりなさい」

 

これからあなたの魂はどうなるの ?  どうするの ?

 

「自分軸」「自立」「自律」

 

誰かのせいで今の私になっている。そう私も感じていました。その「誰か」の比率を減らして自分のせいで今の自分になっている、と感じる癖をつけてきました。

 

そうすると、被害者という言葉もピンと来なくなります。被害者がいれば加害者がいる。いつもその価値観の中で、「自分は加害者」「自分は被害者」と区分けをしている。

 

そもそもなんでそんな区分けが必要なんだろう ?

 

自分は自分、私は私。それ以上でもそれ以下でもないのでは ?

 

今まで私の魂はよく言えば蝶々のようにフワフワと誰かとの間を飛び回っていたのかもしれません。それが心地よかったのかもしれません。

 

これからの私の魂は、まず私に話しかけてくれる、私に語りかけてくれる、私に賛同してくれる、私に共感してくれる、私に共鳴・共振してくれる。私と一つになってくれる。その私は私だけではない「私」。

 

ん ?  わかりにくくなりましたね。今の私の表現力ではこれが限界。また何かの気づきで新たな言葉が浮かんだらお伝えしていきますね。

 

魂が帰還した、ということは、新たな魂の旅が始まった、ということです。時代は変わった、ということです、私の生きている世界では。今までのやり方がすべてがうまくいっていて自信と満足に満ち溢れている人はいいけれど、何かが微妙に引っ掛かる場合は、「生き方そのものの軌道修正のチャンスだよ」というサインを受け取っているということ。

 

自分のアンテナを信じましょう、他人のアンテナより自分に一番合っている情報をキャッチしてくれるから。「不安」が出たら「安心に向かって変わるチャンスだよ」と教えてくれているだけ。「不安」を無理やり追い払う必要はありません。「不安」だって前進のモチベーションにつながるんです、私はそうでした。

 

大きな不安を感じた時ほど大きな気づきの訪れのチャンスでした。

 

私たちの人生に間違いはありません。どんな道を進んだとしても「Yes !」なのです。

 

魂ちゃんとの再会、あなたもきっとできますよ。私にできたんですから。時間はかかりました、それも、私。

 

当エッセイは何も調べずに執筆しています。「事実、真実と違うぞ」のお声、お気持ちはありがたいんですがそっとお返しします。

 

 

 

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※ 追々記

 

きょうは愛犬・華実とのお散歩、公園のはしごです。一つは桜林のある公園。ここで落ち葉を踏みしめてきました。あと二つは海の公園。どちらも東京湾に面していますが海の表情が異なるんです。二つ目の公園では海のそばまで行きました。今まで感じたことのなかった潮の香。ミネラル浴ができたような気がします。

 

公園の中のいつもは通らない小径を通ってみました。想っていた以上に防風林の松が倒れています、なぎ倒し状態。なぜかきょう大々的に伐採をしていました。

 

破壊と再生、ですね、同時に新たな命が始まっている創造でもあるんでしょうけど。

 

お散歩の締めは大好きな芝生の丘。ここにはインディアンのティピーみたいなテントとハンモックがいくつも用意されて、三連休のイベント準備が行われていました。

 

このお散歩だけで、大地と海により近づいたような気分。ということは地球に近づいた気分、でしょうか。

 

 

 

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