「スピリチュアル」を手放したら大きなプレゼントが届きました ! 2

スピリチュアル・エゴ。

 

あなたはこの言葉をご存じですか。

 

スピリチュアルな道を探求すればするほど「エゴ」が膨らむというパラドックスをあらわしたものです。

 

「エゴ」は悪いものではなく誰にでもあるもの。人間であれば誰でも持ち合わせているものです。ただ一般的に「エゴ」は良くない、と教えこまれているので「エゴ」と聴くだけで拒否反応を示してしまうのが私たちの常。それ自体「エゴ」の仕業です。

 

「エゴはいけないもの」として抑圧しているので私たちの潜在意識にどんどんたまってしまいます。すると何かの折に「エゴ」の感情を伴った言動が表にあらわれます。

 

その時、人はどう感じるか。たいていの場合、「あ、これはエゴの仕業だ」と思いません。「私は正しいの。あの人は間違っているけれど」と感じています。

 

おわかりになります ?   こういう経験、誰にでもあるのではないでしょうか。少なくとも私はありました、何回も。最近少しだけその頻度が減ってきていたけれど、ゼロか、と言われるとう~ん、とうなってしまうくらいには出没していました。

 

「スピ・エゴ」というと限定された感じがしますが、実はどんなことにも「エゴ」は関与しています。例えば「健康オタク系」の人は「健康エゴ」が膨らむし、「美魔女系」の人は「美的エゴ」が膨らみます。「ビジネス系」の人は「ビジネス・エゴ」が「スポーツ系」の人は「スポーツ・エゴ」が膨らみます。「医療系」の人は「医療エゴ」が膨らむ。ある程度の「エゴ」はそれを活性化することもあるので上手に付き合えば「エゴ」も大切なお友達になってくれます。

 

ただ、行き過ぎた場合は「エゴ」が自分を牛耳はじめるので、本来の自分の気持ちとは異なる方向に引っ張られる場合も出てきます。「エゴ」とのちょうどよい関係を見つけるのが私たちの人生の課題の一つだということなんでしょうね。人生の楽しみかもしれませんよね。

 

さて、「スピリチュアル」を手放したら大きなプレゼントが届きました ! でお話したように、ぎゅっと握りしめていた「スピリチュアル」の手綱を緩めたら、なんと、自分の第三の目が開いていることが確信できました。松果体、宇宙とつながるスイッチなんだそうです、第三の目の正体は。ヨーガでいうところの第6チャクラ。誰にでもあるもの。誰でも開く機会が来るもの。

 

同時に、すべての答えは「内側」にある、ということもストンと腑に落ちました。

 

これによって今後、「スピリチュアル」をギュッと握りしめ続けている必要がなくなったみたいです、とお話したところでしたね。

 

その第二弾は。

 

「スピリチュアル・エゴ」の統合、解放、が自然に起きてしまったのです。その内容は、

 

  • 自分は意識が高い
  • 自分は霊性が高い
  • 自分はサイキック能力が高い
  • スピリチュアルな世界は物質界より優れている
  • 精神世界は高尚で物質世界は低俗
  • お金に執着しない私は高尚、お金に執着するあの人は低俗

 

が主なもの。これらはすべて自分の中にある潜在意識だと感じ、感じ切ります。かなり時間がかかりました、おそらく集合意識とつながりました。その後すぅっと身体が軽くなって、特に肩回り、背中の上部にサワサワっとして精妙なエネルギーが流れました。

 

清流のようなエネルギーです。

 

「大きなお荷物、やっと背下ろせたね」の概念とともに。

 

私は視えない世界は信じているし、スピリチュアリティという意味では毎瞬毎瞬がその体験の中にあると思うし、これからも視えない世界とともに生きていくだろうという確信があります。

 

が、スピ・エゴはかなり緩和されるのではないかと。その正体がわかっているので、もし万が一今後それらが膨らんできたとしても「あぁ、また大きくなったね」と自分自身でそれを統合、解放していくことができるのではないでしょうか。

 

どんな世界、どんな事柄、どんなジャンルに関しても「エゴ」はつきものです。ただしスピリチュアルの場合、「お金や物質世界との関係」が顕著にあらわれます。

 

ある説によると「お金に対する観念はトラップだ」との見解もあるんだとか。このことが何を意味するのか捉え方は人それぞれ。私は「なるほど」と感じたので、お金との関係は意識的にとらえ方を変えている段階です。

 

何が正解か、ではなく何が自分に合っているのか。

 

日本人は、「自分は殺して人のために」というような意識が本質的に備わっています。自己愛と聴いただけで「自分だけが幸せになれればいいの ?  すごい自己中ね」と思うケースも少なくありません。

 

私も数年前までそう思っていました。

 

今は自己愛と自己中の違いをはっきりと認識できるようになりました。

 

自分を愛することは自分から自然に愛が放射されることにつながります。自分の真ん中を愛で満たすこと。それが周りの人にも社会にも世界にも波及していく。自分への愛がスタートなのだとようやくわかりました。自己愛がないと自分の真ん中がスカスカになってしまい外側に愛を求めるようになるのです。自分自身をチャージするために。

 

動物君をみてください。自分を愛していない動物などいませんよね。みんな自分を愛して尊重している。彼らは自分が大いなる存在の一部だと全身で理解しているから。

 

 

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※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。12月の花模様

 

スピリチュアルな世界に傾注している人の多くは「自己欺瞞」のエネルギーを隠し持っていることがわかりました。「スピリチュアル、大好きです」と言っている人ほど。

 

私もそうだったので、こちらも統合しましたよ。

 

意識エネルギーは必ず両極存在します。「好き」と「嫌い」は表裏一体。「あの人のことが大好き」という場合、「自分のことが大嫌い」という思いを隠し持っていることがほとんど。そういう人は時にアンチに転じることも少なくありません。「あの人のことが大好き」が「あの人のこと大嫌い」と。その「大嫌い」は実は自分に向けた感情なのです。

 

だからバランスが大事。片側だけではなく、両方。

 

 

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