愛犬の鼻水は愛のメッセージ

鼻水です、お散歩中に。

 

愛犬・華実、鼻から三センチくらい鼻水を垂らしていました。

 

「やだ、寒いから ?  ま、おじいちゃんだし仕方ないっか」

 

鼻を拭き取ります、割とねっとりしています。その後一切鼻水はたれてきません。

 

「寒いからじゃないんだ」

 

デトックスだとわかりました。私の主人は高校生の時、蓄膿で困っていて、毎日何キロかの通学路を自転車で走っていたら、ある日突然どんぶりいっぱいくらいの鼻が出てきたことがあったんだとか。その後蓄膿は治ってしまったそうです。

 

華実の場合もそれに近い感じ。

 

パソコンは復旧しましたが大大デトックス中ですでお話しているんですけど、私は10日間ほど、大大デトックスが続いていたんですね。その時に華実がものすごいイビキをかいていたんです。おそらく私の感情を引き取ってヒーリングしてくれていたんだろうな、と感じていました。

 

その後もものすごいイビキは続いていて、なんだろう、このイビキのメッセージは ?  と思っていました。そんな中でお散歩時に突然鼻水が飛び出していた華実をみて、「なるほど」、主人の蓄膿のエピソードを想い出したんです。

 

そう、気温の変化による鼻水ではなくて、そもそも鼻の奥にこってりと何かをため込んでいた、ということ。

 

なんでも鼻にかかわる感情、意識としては、「人の幸せに対して責任を持ちすぎる」というものがあるんだとか(リズ・ブルボー著『自分を愛して !』参考)。

 

他にもいろいろあるんですが、今回は絶対これだと思いました。

 

私は人より感受性が豊かな体質です。感じやすい、キャッチしやすい。そのため、人の感情も自分のこととして受け取ってしまいがち。しかも、「みんなを幸せにしなきゃ」という強い使命感が刷り込まれていたので、みんなが幸せじゃなきゃいやだ、と感じていたし、もしも幸せでないようにみえる人がいるとしたら、それは自分のせいだ、と罪悪感を感じるタイプだったのです。

 

これ、エゴなんですよ~、実のところ。優しさでもなんでもない。

 

なぜなら、人は自分自身が幸せだ、と感じることで幸せを得るもので、人によって幸せを与えてもらうものではないんです、本質的には。

 

ただ一般的には「あの人に幸せを与えてもらった」「あの人といると幸せな気分になれる」と感じるので、幸せは外からやってくるように捉える癖がついています。

 

人間はそもそもが幸せに創られた生き物なんです、それを忘れてしまっているので、「私はちっとも幸せじゃない」と幸せ欠乏感に浸ります。そして外から幸せを得ようとする。幸せは自分の中にすでにあるのでそれを引き出せばいいだけなのに。みんなそれを忘れてしまった。私自身もそうでした。

 

だから周りの人の幸せ度合いが十分でないようにみえると、「あの人のこと幸せにしなきゃ」とがんばるわけです。さらに、それでも不十分だと感じると「私の力不足だ、私のがんばりが少ないからだ」と自分を責める。

 

ありえないスパイラルにはまっていました。

 

私たちは自分を愛で満たすと自然に周りに愛があふれ出します。「あの人のこと愛そう」と思わなくても。

 

それと同じように私たちは自分を幸せで満たすと自然に周りに幸せがあふれ出します。「あの人のこと幸せにしよう」と思うことなく。

 

愛と幸せの波紋は自然に拡がっていくものなんです。

 

これこそが動物君の在り方なんですよね、無理やり私たちを愛そう、とか幸せになってほしいからがんばろう、とかではなくて、ただ自分がいれば愛が放射されるし幸せだって感じ取ってもらえる。その信頼の中に在る生き物なんです、彼らは。

 

私たちはその姿をみて、自分の本来の姿を想い出せばいい。

 

華実は鼻水がたれて気持ち悪いとか、何かの病気なのかな、なんて全然思わない。ただ「出たよ」、それだけです。その鼻水の意味を私が理解しようとしまいとそれさえ構わない。出るタイミングが来たから出た、それだけ。

 

その鼻水を私が「おじいちゃん犬の老いのサイン」と取ればそうなるし、「そっか、愛のメッセージね」と取ればそうなる。たまたま私は後者を選択するタイプなんですけどね。

 

華実の鼻水がデトックス・サインだった証拠として、昨晩華実はまったくイビキをかかなかったんです。

 

華実はイビキによって一時的に私のこころのゴミを引き取ってくれて、もういらなくなったので、そのタイミングで手放した。

 

そのメッセージを私はキャッチした。だから私自身の手放しにもつながったということなんです。私は今後、人の幸せの責任を背負うのではなく、自分自身の幸せの責任を担うという生き方に変わります。

 

さて、ペット君と暮らしていると実にさまざまな現実があらわれます。どんな症状だってメッセージがあるもの。それをキャッチして自分の人生に反映してしまえば、たいていの症状は自然に治癒してくれる可能性が大きいのです。

 

ペット君の身体症状の原因のほとんどは私たち飼い主のメンタルの不調和によるもの。

 

この考え方は耳が痛いときもあるのでなかなかすぐには受け入れられないものなんですが、仕組みの大元を理解してしまうと「ストン」と腑に落ちます、ものすごく楽にそのことを受け容れられるようになります。

 

彼らは完全に私たちの一部であるということ。華実は華実という独立した存在であると同時に外側にあらわれた私そのものであるということです。

 

ペット君が飼い主さんにソックリと言われるのはそのためです。

 

とまぁ、こんな考え方もあるんですよ、の参考例の一つとして。

 

華実の鼻水によるデトックス。これからもまだ元気でいるよ、の華実からの意思表示なのではないでしょうか。

 

華実は他のコと比べて明確にコミュニケーションの意図を表現してこないコです。つまりアニマル・コミュニケーションはそんなに得意ではありません。それはもしかしたら、華実は私に全幅の信頼を寄せてくれているので、伝わろうと伝わるまいと関係なくて、私にその時が来たら自然にキャッチして、という、ある意味大物スタンスでいるからなんじゃないでしょうか。

 

それが華実の自然体であり、個性であり。その反面、ただ「ぼぉっとしている説」も否めないんですけれど。

 

 

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※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。悲劇のヒロイン癖、解放しました

 

 

 

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