耳の痛い言葉には愛がいっぱい !

 耳の痛い言葉。

 

その裏には真実が隠されている場合が多い、という事実を知っていますか。

 

私たちは耳の痛い言葉はついついスルーしがち。けれどその奥に答えが光り輝いていることもあるんです。

 

自分にとって耳の痛い言葉。

 

耳が痛い、というのは真実だから、その言葉が。真実だから「聞きたくないよ」とエゴが思い切り反応する。

 

耳当たりのいい優しい言葉だけが並んでいれば、それは気持ちい~い、こころがホッコリ和みます。

 

ちなみに耳当たりがいいという言葉は「耳ざわりだ」という人もいるらしいんですけど、聞いていてここちいい、と置き換えればイメージは伝わりやすいでしょうか。

 

耳の痛い言葉の裏には気づきと成長のチャンスが隠されています。そもそもが愛。

 

耳当たりのいい優しい言葉だけだったら成長しませんよね、いつもこころは穏やかで波風が立たない状況だから。それって現実的にはあり得ないけれど。

 

スピリチュアルに興味のある人って割と耳当たりのいい言葉を選びませんか。あと、動物関係の専門家の人も。

 

私も以前は耳当たりのいい言葉を選ぶ人が好きだったし私自身もその傾向は強かった。

 

数年前に完全に私の意識は変わりました。攻撃を意図しているのではなく、でも本当のことを言うとしたら、必ずしも相手にとって耳当たりのいい言葉だけにはなり得ない、ということに気づいたからです。どっちが真の優しさか、と言えば、今の私の解釈では時には相手にとって耳の痛い言葉も必要だ、という感じです。

 

別にご意見番を目指しているわけではなく、意図的にキツイ言葉を選ぶという言葉でもなく。そもそもそれを感じるのはお相手のこころであって、私の意識ではないから。

 

ただ中には「耳当たりのいい言葉だけが欲しい」と望む場合もあるでしょうから、相性の問題も出てくるかもしれませんけど。

 

耳の痛い言葉はエゴが反応しているというサイン。エゴは悪いものではないから、「あ、今、エゴが反応しているんだ」と感じ取れば、耳の痛い言葉の奥にある「愛」がみえてくることもあります。「愛」がみえてきたらミッケモン。成長のチャンス、変容のチャンスです。

 

エゴが反応しないようにエゴをたたきつけていると、エゴはどんどん私たちの中にたまっていきます。ものすごい力を持ち始めます。

 

エゴに牛耳られないためにもエゴの存在を認めてあげること。

 

「あ、今のあなた、エゴね」と受け容れてあげればいいんです。エゴは私たちの一部、すごくわがままな一部です。だからといって虐めたり排除はしない方が賢明。なぜなら、私たちの一部、を自分自身で虐めることになるから。

 

エゴはあってあたりまえ。彼らが暴走しないように上手に共存できる方法を選べるといいですよね。

 

 

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※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。愛の使命が大きい人はエゴや執着心が強い !?

 

うろ覚えですが、ある人がこんなことを言っていました。「本は共感できる箇所より共感できない箇所にこそ宝物が隠れている」と。もっと言うのなら強い抵抗感を感じる本こそ愛の宝庫だということかもしれません。

 

エゴが「いやだ~、こんなの嫌いだ~」と反応したところほど、愛に転じる大きなチャンスが隠れているということなんでしょうね。へそ曲がりエゴちゃんも私たちの大切なパートナーだということがわかりますね。

 

 

 

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