いたみがあるから芸術はおもしろい

久々に『We are the World』をYouTubeで聴きました。

 

やはり、すごい ! 一人一人のアーティストがそれぞれみんな唯一無ニのひかりを放って、人種の壁をこえて、音楽のジャンルをこえて一つの目的に命を放っている。魂の叫びがきこえてきます。

 

ここ数週間、あるアーティストが気にいってその人の音楽をずぅっと聞き続けていました。最初は大感動だったのですが、じょじょに何かが引っかかるようになり、その答えがきょうようやくわかったのです。

 

その人は「光」だけしか表現していない、その裏の闇だったり影だったりを絶対にうかがわせない、匂わせない。綺麗なところだけ。美しいところだけ。愛に包まれたところだけ。

 

実際人間なんて誰にもドロドロの闇があって、光と闇の法則、そう、光が大きければ大きいほどその闇も大きくなるわけで、その闇があるから人間としての深みが増し、芸術としての重みと輝きが増すのではないか、と原点回帰のような気持ちがわいてきました。

 

これ、たぶんどんな人にも言えること。芸術家に限らず。

 

私たちの人生そのものがある意味アートなのですから、そのアートには光も影もあって奥行きが出るのですよね。光だけのアート、というのは現実には存在しない。光があれば当然影ができて、影があれば当然光があって。光と影は表裏一体。そのいずれもがあっての光なのです。

 

もしもあなたがこころにいたみを抱えているのなら、それは素晴らしいアートに生まれ変わる種のようなもの。その種があるから美しい人生のアートが彩られるのです。

 

例えば「怒り」という種。この種を肯定的なエネルギーの元とすることができます、積極的なエネルギーの種とすることができます。「怒り」の感情が何一つない、という人はほとんどいないはず。その「怒り」こそ、魂の叫びにつながるのではないでしょうか。そこに力強いアートが生まれるのではないでしょうか。

 

清廉潔白なアーティストなんて、実のところ、おもしろみに欠けるのでは ?  現実的に考えてこの世の中に清廉潔白だけの人なんて存在しないわけですから。 私はへそ曲がりなところもあるのでそんなことを大いに自分に認めてあげたいという気持ちになりました。

 

自分の感覚や意識、経験すべてに共感できるように。

 

 

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※ 追記 

 

前エッセイ親からの自立「個別主義」で私の「個」の確立、「自尊心」の確立のタイミングが来た、というお話をしています。

 

「自尊心」、ある意味「私は私」と他の人のエネルギーとの線引きをしっかりとすることだと感じています。もちろんそれが「個」につながります。

 

日本人は「個」が確立しないような成長の道筋をたどっていますから、かなり意図的に「個」に向けて突き進まない限り、いつも他の人のエネルギーと混濁していることになります。自分の人生の課題と他の人の人生の課題がゴチャゴチャになってしまうのです。

 

長い間、私自身そこにはまっていましたので、今「個」を感じることはかなり新鮮です。その裏に怖さもあります。それでもやっとみえてきた「私」という「個」から目を背けないで前に進んでいけたらいいな、と、まるでヨチヨチ歩きの赤ちゃんのようですが、ちょこっとずつの前進を楽しみつつ。

 

こんな日がやってきました、知らないうちに、けれどようやく。

 

 

 

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