自己不全感といういたみ

いたいっ。とてつもないところにスイッチが入ってしまいました。

 

たぶん、前エッセイ耳の違和感の奥に隠された愛のメッセージでの『「こんなことを言われたって私にはどうすることもできない。そんな役立たずな私が生きていていいわけがない」』の部分がさらに深い傷をほりおこしたんじゃないかと。

 

自己不全感。自分は無価値だという強い自己嫌悪をもって自分は不完全な存在で何もできない、という感覚です。

 

今私が感じているこの意識、おそらく集合意識につながっています。

 

私たちはたいていの場合、「機能不全の家庭」で育っています。ほとんどの人はそれを認識していないはず。機能不全という言葉は一般的ではないので違和感があるかもしれませんね。ただし逆説的にとると、完全なる家庭というのはほとんど存在し得ないということ。完全無欠なる人間が存在し得ないのと同じです。その事実を受け容れられるかどうかの違いはあって当然、私たちの人生の課題はそれぞれですから。

 

「機能不全」に対する「自己不全感」。何か感じるものはありますか。家庭の機能が完全ではなかったので、私たちも自分を完全なるものと受け容れることができなかった、という意味ではないでしょうか。

 

特に私は「自分は無価値だという強い自己嫌悪」の部分にハートが響きまくりました。今もかなりイタみを感じながらの執筆です。集合意識につながったということは、これを感じてしまえばかなり私のハートは軽くなる、ということでもあります。

 

私たちは感じたくない不快な感情は抑圧する、という生き物です。これだけいたみが出ているということはたくさんの人がこの感情を抑圧しているということ。言葉を変えるのならみんなで同じいたみを共有していることになります。

 

もしもこの感情、ご自身にもあるかもしれないと感じられるようなら、なんらかの形で感じ切ってしまうと良いかもしれませんね。あなた自身が楽になるかと。

 

ただし、ご自身の傷が深すぎる場合、そのプロセスがあまりにも辛すぎる場合、はご自身をまもる意味でトライを見送ってください。しかるべき時が来たら、きちんと感じられますから焦らずに。

 

「自己不全感」については数週間前に出てきていたものなんですが、まだ取り残された部分があったみたい。それともあの時は集合意識にはつながっていなかったのでしょうか。

 

いずれにしても出てきてくれた感情はすべて感じ切る、が私のスタンスです。これによってずいぶんと自分のこころのバランスが変わってきてくれました。

 

2019年12月26日に、私は自分のドロッドロな闇を徹底的に受け容れるというエッセイを記しています。まだまだこんなオオモノがあったのか、とビックリ。もちろん出てきてくれたことには感謝、です。今だから感じられた感情なのでしょうから。

 

 

カウンセリング&電話相談

著書・著作

新時代型メール・マガジン

エッセイ一覧

 

※ 追記

 

私のこの考え方は心理学者・ユング理論にのっとったもの。ユング理論は知らないうちに自分の中から浮かび上がってきていました。ユング理論がすべて、というスタンスではありませんが、少なくともこの理論のお蔭で「自愛 self love」 という考え方に至ることができました。

 

自愛は自己中とは違います。自愛とは自分を労わり、自分を慈しみ、自分を育てる、といった意味の言葉です。他者を労わるためには、まず自分。他者を慈しむために他者を愛するためにもまず自分、なのです。

 

 

 

サイト内検索

お問い合わせ

メモ: * は入力必須項目です

ページTOPへ戻る