不思議、不思議。
本日パソコンの設定が突然「リセット」され、当管理画面も勝手に表示形式が変わっています。こんなことがあるんだな~と思いながら、何かの「シフト変更」のメッセージだと嬉しくもなっていたりします。
先ほどわがベランダ・ガーデンでお茶を飲んでいたら、なんと、勝手にビオラの花が動き、オリーブの鉢からこぼれ種で育った名前はわからない草が突然ユラユラと揺れだしたのです。風もないのに、特定の花と特定の草だけが。
実はその前に「植物に知性がある」関連の情報に触れていて、そうか、植物というのは人間よりはるかに生物として賢くてたくましいんだな、もしかしたら私たちは植物に支配されながら生きているのかも、とその手のことを感じていたばかり。この、「植物に知性がある」についてはまた後日お話させてもらいますね。
もしかして突然揺れだした花や草は、身体を揺らすことで私に何かを伝えたかったのではないでしょうか。そもそも私は知性はわからないけれど植物にはそれぞれ独自の「精」が息づいていると感じているし、まして私たちと同じ感覚がないからと言って、植物が何も感じないわけはないと思っている方なので、人間的感覚でいうのなら、「そうそう、その通り。よく気づいてくれたね」と、その手のことを私に伝えてくれようとしたのではないかと、一人で結構興奮しています。
動物君と話をするように植物とも話ができる人がいると言います。私は直接的な言語ではないけれど、なんとなくイメージで彼らのその知性のあらわれを感じたことはあって、けれどこんなにも直接的に身体を揺らしたコミュニケーションというのは、正直ビックリです。嬉しいビックリ。
植物に知性があるとして、いえ、これはかなりの確率であるようなのですが、そのことに気づける人、受け容れられる人がどれだけ増えてくるのか、そんなことも含めて彼らとの共生関係を楽しんでいけたらいいな、と感じています。彼らも気づいてほしいはずだから。
それにしてもパソコンの設定が勝手に変わるのって、私のような超アナログ人間にはかなりこたえること。それでも何とかその変化についていこうとしている自分が愛おしくも感じられる。そんな気持ちになれたのも、植物君の何らかのアピールを感じ取ったからなのかもしれません。
私たちは一人では生きていませんね、必ずどこかで誰か、あるいは何かにつながっている。
※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。トマトが実をつけはじめました !
当エッセイ、しばらくお休みののち2020/06/01に地球回帰、自然回帰、人間回帰というエッセイで再開しました。この時にすでに「植物には知性がある」という情報は知っていたので、もしかしてそれからのエッセイの流れはすべて「植物の精」主導によるものかもしれません。
なぁんてこと、以前の私だったら書けなかったけど、もうこういうことどんどん書いた方がいいな、と思っています。私と同じような方がたくさんいると思うから。たとえマイノリティーだとしてもそれら個性を排除したり抑圧したりする必要はありませんよね。