にせものたちの言い分

何を本物とするか、何を偽物とするか。私自身偽物の可能性だってある。

 

が、いくらなんでもこれはないだろう、という情報の数々に辟易していました。ところがその手の情報は信奉者も多い。中にはそれら情報発信者をまるで教祖さまのように崇めている人たちもいます。

 

私の目は節穴なのか。私のハートにはまるで響かないそれらの情報が正しく、私はまったくの偽物なのか。

 

こんな話は主人くらいにしかできません。主人に話したところで「わからない」とか、「ま、そういう意見もあるんじゃないの ? 」とかコミュニケーションにも届かない。そして私の中でぐるぐるといろいろなものが回り始める。

 

何のお導きなのか、きょう、はじめて、「私と同じ視点だ」という人のブログにたどり着きました。著名な方らしいのですが、私自身その存在を知ったのは数日前。

 

基本的に私は誰かの話に一方的に傾注するタイプではありません。

 

元々が疑い深い性格なのか、様々な情報を多面的にみて、その中から自分に一番しっくりくる考え方を選ぶタイプです。

 

ところがきょうたどり着いたブログに書かれていた内容は、すべて、という意味ではなく、けれど少なくとも私が興味をもった記事テーマに関しては、ずばり、の内容で埋め尽くされていました。

 

よかった。私の感じ方は人によっては正解なのだ、と。もちろん人によっては「何を言ってるんだ」と感じるところもあるでしょう。けれどかなり重要なテーマにおいて、私と同じ考え方をしている人がいた。これだけで自己肯定が進みます。

 

ちなみにその方の文面はかなりの上から目線。みようによっては傲慢な内容も。が、歯に衣きせぬものいいで、「あぁ、日本にもこういう発信者がいたんだ」と妙に嬉しくなってしまう、その一言につきます。相手に対するコビがない。

 

おそらく当エッセイをご覧になっても、「この人何言ってるのか意味不明」と感じる場合が多いのではないでしょうか。

 

いいのです、自分の意見がみたこともあったこともない人に時空をこえて共感、承認してもらえていたその感覚だけで十分自己受容が進む、という現実がわかったのですから。

 

今、誰もが情報発信者になれる時。

 

時流に乗っているからと言って、すべての人の情報が100%正しいわけではありません。もちろん100%まちがっていることもありません。その、数パーセントの何かを嗅ぎ取るセンサーを磨くこと。情報にあふれる今だからこそ、自分を磨くチャンスなのだとわかりました。

 

それって割と得意分野。よし、自分の道、再確認。人と違っていい。むしろその感覚をトコトン楽しもう、と。

 

 

 

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※ 追記  当エッセイの前のエッセイはこちらです。私に足りないのは自尊感情と自己肯定感 

 

当エッセイ、しばらく間があいたのは自分自身に向き合う「内観ワーク」、同時に「インナー・チャイルド・ケア」に没頭していたためです。

 

インナー・チャイルドという概念なんてない、と感じる方はそれでいいのです。私は形にはみえないけれど自分の中に幼い頃の自分の意識が現在進行形で息づいている、という感覚があるので、その意識にトコトン向き合い、自分のこころの歪み、こころの傷に向き合っていました。お蔭さまでかなりの前進、自覚できるほどに。

 

さて、今朝、登録者様向け新時代型メール・マガジンを配信したのですがその中に青鷺・あおさぎからのメッセージとして「同調圧力に屈しない」「独立独歩」という内容がありました。

 

なるほど、こうつながったか。

 

これはある意味シンクロニシティ、心理学者・ユングによる「共時性」のこと。時々勘違いされている人がいます、シンクロ、とは全宇宙における共時性のこと。お互いの間にシンクロが起きている時だけを言うのではありません。

 

たったそれだけのことでも、情報に対するその人の姿勢がわかります。情報に対する姿勢は、自分自身の言葉に対する姿勢と同じ。

 

自分を大切にする人は、情報も大切にする、ということかもしれませんね。自分から出た言葉の行方に責任をもって。 

 

 

 

 

 

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