「優性」「劣性」概念から「顕性」「潜性(せんせい)」へ

遺伝学では100年以上にわたり、遺伝子の2つの型のうち特徴が現れやすい遺伝子を優性、現れにくい遺伝子を劣性と呼んできたと言います。ところがこれだとどうしても遺伝子に優劣があるとの誤解が生じてしまう。そこで特徴が現れやすい遺伝子は「顕性」、現れにくい遺伝子は「潜性」と呼ぶようにしたんだとか。

 https://www.nikkei.com/article/DGXLASDG15H7R_V10C17A9CR8000/

 

遺伝学はまったくの門外漢なのですが、この感覚を通常の「優劣意識」に取り入れるとおもしろいな、と感じました。

 

優= 優れている

劣= 劣っている

 

私たちに馴染みが深いところでは「優等生」と「劣等性」。もしここに何かの特徴がよく現れている人たちが「優等生」でその特徴が現れにくい人たちが「劣等生」だとしたら、その項目によって「優等生」と「劣等生」が入れ替わる。しかもそれを「顕生」「潜生」みたいな呼び方をすると、今のような完全なる「優等生」「劣等生」区分が崩れるのではないかと。そう、学校における二極の概念に膨らみみたいなものが生まれるんじゃないかな~、と感じたのです。

 

一度「優等生」のレッテルをはられた人にとってはそれはそれでプレッシャーなはずだし、「劣等生」についても同じ。そこには「個性」というよりお勉強が得意かそうでないか、テストが得意かそうでないか、そんな二元論が如実にあらわれてしまっているような気がして、もう少し膨らみがあれば、「優等生」も「劣等生」も必要以上にそのレッテルにこだわらなくてすむのではないでしょうか。もちろん指導する側にとっても。「この子は〇〇においては顕生の素養があるけれど、△△においては「潜生」の素養がある、そういう個性の子」みたいに捉えると、では何を伸ばしてあげればいいのか、何を少しがんばってもらえばいいのか、そんな指導法も生まれてくるかもしれませんよね。

 

現実問題でそれは無理だったとしても、せめて親御さんがそんな風に考えてあげたら、親御さんのストレスも少なくなるのではないでしょうか。

 

我が家には子供がいないのでまったくの机上の空論かもしれませんが、もしも私が子供だったら、そういう考え方をしてもらえたら、もう少し気楽に子供時代を過ごせたのに、と感じたりして。教育の現場に限っての話ではなく、自分の個性や他の人の個性にもアレンジして使えるかもしれない、この「顕性」、「潜性」概念、あなたはどう感じますか。

 

 

 

 

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※ 追記  当エッセイの前のエッセイはこちらです。デジタル時代、アナログ脳の人間は何を想う

 

「顕性」、「潜性」 という表現を見た時、すぐに顕在意識と潜在意識のことが思い浮かびました。

 

顕在意識は表面に現れやすい意識、一方潜在意識は奥深くに潜り込んでいてなかなか自分では認識できない意識。だからと言ってどちらが優れているわけではなくて、性質が異なるだけ。しかも実は潜在意識の方がボリュームが多いとなれば本当は潜在意識にこそフォーカスしたいところ。

 

人の個性も「優性」「劣性」の「劣性」の方にこそ、もしかしたら秘めたるパワーが隠されているのかもしれないな~、と。優等生な自分も劣等生な自分も受け容れて、いつも優等生じゃなきゃダメ、と自分にプレッシャーをかけすぎないようにしたいもの、ですよね。それにある人からみたら優等生でもある人から見たら劣等生かもしれない。

 

あまりにも明確な「優劣」基準は気にしなくてもいいのかな~、という気がします。

 

 

 

 

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