愛猫の命日、はじまりの瞬間・とき

パソコンの調子が悪くなった時、それはたいてい私自身のアップ・デイトが進んだ時。

自分の波動が変わると今までの環境設定と歪みが生まれるということの暗喩らしい。

 

今朝も突然のフリーズ。

 

そっか、きょうは愛猫・海・かいの命日だ。

そう感じた瞬間、ものすごいエネルギーがどこからか流される。

私はそれを「ダウン・ロード」と呼ぶ。

 

海・かいだ、海・かい自身によるダウン・ロード。

 

こうしてわかる。生物というのは、肉体を喪っても生き続けているということが。

肉体の目では見えないエネルギー体という形でどこかに存在している。

こちらが意識した瞬間に「海・かい」という実体を伴うがそれは瞬間移動のようなものなのか。

 

あちらにおいては「海・かい」ではないものがこちらでは「海・かい」になる。

 

これが話に聞く「多次元」と「三次元」の関係なのだろうか。

 

執筆をはじめようと思った瞬間、またもパソコンがフリーズしまくる。

これは「海・かい」の得意技。

 

以前、読者さまサービスとしてカウンセリング・セッションを行っていた時、海・かいは必ず、と言えるほどセッションに介入してきた。

まず、とてつもなく「クリア」なエネルギーを流して来る。

次に、電話セッションの場合は電話を切る。

メールのやり取りをしていると文章を突然消したり、あるいはわざと送受信にトラブルを発生させる。

 

オカルトの世界だが本当のことだ。

 

ということはヒーリング・セッションの時にも「海・かい」が関与していただろうことは想像にかたくない。

 

さらに執筆。私の言葉に「ひかり」が関与していることは薄々気づいていた。

 

チャネリングとか自動筆記とか、そこまでのものではないにしても、一般的に物書きというのは、多次元の言葉を盗んで書かせてもらっているようなものなのだ、とどこかでそんな話をめにしたことがある。

 

言葉をかえれば私たちは多次元とのつながりなしにこの世に存在することはできないのかもしれない。それを意識するかしないか、またその度合いが強いか弱いかの違いはあるにしろ。

 

海・かいの想い出を語るつもりが、こんな内容になった。

 

海・かいはあちらで成長している。

 

かっこいいんだよ、海・かい君。

 

あなたは私にとって特別な存在。海・かいにとっても私は特別なのか。

 

執筆しながら私はパツンパツンのエネルギーを体感している。

 

愛猫・海・かい・ラグドール。

 

海・かいの月誕生日は私と一緒。月命日は夫の月誕生日と一緒。

 

いのちの巡り、終わりは始まり、始まりは終わり、というメッセージが託されている。

 

 

 

 

※2023/05/10現在、休筆からのリハビリ、慣らし運転のつもりで執筆

 

 

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