憑依体質は霊の憑依によるもの !?

私は憑依体質だ。知人からは「霊媒体質」とも言われた。

 

その違いはわからない。ただ人込みや雑踏、神社、仏閣あるいはお墓、さらに特定の場所に行くと具合が悪くなることが往々にしてあった。

 

最近は、人込みそのものを避けたり、できるだけそれらしき所にいかないようにしているためか、殊更困るほどのエネルギーの混濁を感じることは少なくなってきている。

 

ふと考えてみると、それって「霊能者」体質になっているということでは ?

 

私はそもそもは霊能者でもなんでもない。幼い頃から、人より少しだけエネルギーに敏感なところはあったが、よく言う「霊の声が聞こえる」とか「霊が視える」とかはまったくなかった。今でも霊の声は聞こえてこないし、霊が視えることもない。オーラだって視えない。いや、もしかしたら、「霊能者」の資質は誰にでも備わっていて、多くの人と同じように私自身がそのスイッチをオンにしていないだけなのか。

 

いずれにしてもそんな状態なのに、なぜ「憑依体質」なのか、「霊媒体質」なのか。

 

そう、私の「憑依体質」「霊媒体質」のいずれかあるいは両方は後天的なもの。しかも一般に言われる「霊能力の開花」が突然訪れるきっかけがあったとも思えない。

 

ただエネルギーにより敏感になったタイミングを想い出すと、それは「ホリスティック・ケア」と「スピリチュアル」に首を突っ込み始めた頃だということがわかる。

 

現在は私は共に卒業させてもらっている。「ホリスティック・ケア」にしろ、「スピリチュアル」にしろ、本当に具合の悪い時にどうしても自力でその状態から抜け出せそうもない時に、「頓服」代わりにスポットでそれらツールをセルフで活用するレベル。

 

風邪を引きそうになった時に葛根湯を飲む、そのレベルでの頼り方。それ以上でもそれ以下でもない。だったら活用しなくてもいいじゃないか、という感じだが、お守り気分でちょっとだけ頼らせてもらうと、自然治癒力へのスイッチがより入りやすくなるようなそんな気分になることもある。

 

いま思うと「ホリスティック・ケア」「スピリチュアル」どっぷりだった頃の方が「憑依現象」というか、言葉が適切かどうかはわからないが「霊障」のようなものは顕著だった。

 

ふと感じたのは、私の「憑依体質」「霊媒体質」は「ホリスティック・ケア」「スピリチュアル」の副作用、副反応だったのでは、ということだ。

 

「ホリスティック・ケア」は波動系商品をケア用品として活用することがあるため、どうしてもそこに「製造者・開発者や施術者の念」が入ってくる。それは「スピリチュアル・メソッド or ツール、グッズ」でも同じことが言える。両者の間には治療の目線とケアや癒し、ヒーリングの目線の違いがあるだけ。

 

つまりいずれも「霊」が関与していることは想像にかたくない。

 

「霊」というのは「霊能者」の霊性に合わせたものが関与するということを聴いたことがある。

 

「霊能者」あるいは「治療者」「施術者」などの意識が善悪二元論であれば当然その手の「霊」が関与してくる。またその人の信じるもの、例えば宗教的教義や思想などの概念がことごとく反映される。

 

それが「波動系商品」の大きな特徴だ。

 

 

もしかしたら「波動系商品」=「密教系グッズ」なのでは ?  

 

「ホリスティック・ケア」や「スピリチュアル」系施術者の大元は「密教系」とつながっているのでは ?

 

 

私がお付き合いしていた「ホリスティック・ケア」の専門家たちは、たいていが「般若心経」を唱えていたし、中には「呪詛」や「護摩だき」のような行為を行っている人たちもいたし、何より神社仏閣が大好きだったし、何かというと「祈り」の言葉を使ったし、さらに「お大師さま」と多言する人がほとんどだった。

 

私はその中のひとつにもあてはまらない。一時少しだけパワースポット巡りとして神社巡りをしたことがあったが、行くたびに具合が悪くなるので数回でやめてしまった。

 

ということは、私は誰かに意識的になのか、無意識になのか、「憑依体質」「霊媒体質」になりやすいように「呪詛」のようなことを施され、結果、何がしかの霊が私に憑依してまるで根っからの「憑依体質」「霊媒体質」であるかのように過ごさなくてはいけなかった数年があったのでは、とふとそう感じたのである。

 

ということは、たったいいま、おそらく私を「憑依体質」「霊媒体質」たらしめていた「霊」存在が私の中からすっと姿をくらましたということだろう。つまり「密教系呪詛」の解除の時。

 

前エッセイ男性社会の「揺らぎ」 ~ ジャニーズと高野山、ともに新たなフェイズへ【後編】 の中で、以下のことを記している。

 ↓↓↓

 

〇「太陽神」と記号化されているものともつれるもうひとつの「太陽神」の存在をはらみながら。

 

〇なるほど、あくまでも個人的推察です、弘法大師の得意とする「結界」の効果はもしかしたら「1250年」という、期間限定という意味なのではないでしょうか。多次元レベルでみると。いえ、多次元であれば「1250年」という数字さえ関係ないのかもしれません。「1250年」はあくまでも三次元レベルでの解釈。「125」を足して「8」。「1250年経つと元のひとつに戻る、それを数字であらわすと8」。「8の意味、森羅万象全宇宙」「0がついているのはひとつの〇に戻る」の意 ?

 

↑↑↑

私の内在宇宙では、「太陽神」と記号化されている既存のそれではない「太陽神」が息を吹き返すタイミングが来ていて、そのプロセスの中で「密教系」呪詛なのか結界なのかがとけはじめている、破られはじめているということがうかがえるのではないか。

 

そしてその「密教系」呪詛、あるいは結界はいまこの時を迎えるために、大いなる存在、宇宙根源意識があえて意図的に設定したもの。

 

ということは私の仮性「憑依体質」「霊媒体質」は宇宙根源意識の愛のシステムの一つだったということ。

 

「ありがとう、お世話になりました」

 

さて、手元に残っているわずかばかりの波動系グッズ、少しずつ手放すとしますか。

 

 

※ 2023/09/02 執筆

 

昨晩真夜中、急な吐き気に見舞われましたが何も出ませんでした。朝起きた時も。その後何回もゲップが出ています。

 

私の中の何かが必死に私の体内から逃れようともがいているかのように。

 

これらはすべてより善き方向、本来の真ん中に向かうためのありがたきGiftです。

 

 

 

 

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