奴隷契約、儒教の呪縛、「リセット !」

当エッセイは2023/11/28に執筆していましたがなぜか更新のサインが来なかったので、本日2023/12/14に更新することにしました。きょう14日は愛犬・宇宙・そらの月誕生日です。

 

ここ数か月の芸能界の動きをみて感じた、私たち自身に「奴隷契約の解除」のチャンスが訪れていると。

 

芸能界情報をみてみると、さまざまなところで「搾取ゲーム」が行われていた事実がわかった。

 

才能の搾取、性の搾取、やりがいの搾取、時間の搾取、そして魂の搾取。

 

芸能界のプロダクション、事務所との契約は「置屋システム」によく似ている。

 

そこには「使用人」とされる側の人権は存在しない、。あるのは権力者層の欲望による支配だけだ。

 

一般の会社に目をうつしても同じ。

 

私は会社生活は短かったけれど、確かに会社には「奴隷」のように扱われたし、それはフリーランスになっても変わらなかった。個人事業主は「いくらでもあなたの代わりはいる」とばかり、ちょっとでも相手方に気に入られなければ即首、なんてこともしばしば。まだ「会社」という盾があった方がましなくらいだ。

 

私は同じ出版社から著書を数冊上梓させてもらったことがある。それ自体はとてもありがたかった。それでも「ギャラの搾取」、つまりやりがいの搾取に悩まされ、ある時そのことを口にした途端相手の弁護士に「契約にないものはすべて無効」と言われたことがある。「契約」は一方的に提示されていた。

 

私が夜も寝ず、土日や年末年始の休みもなく、体調が悪い時でも執筆し続けたから、その出版社にいくばくかのお金が流れ続けていた、しかも担当者はそのことをしっかり認識していた、それでもそんなことはおかまいなしの言動ばかり。

 

いまでこそ「弱者の味方」になってくれる組織や個人はいるかもしれない。当時はそういう行為を起こした時点で「出禁」扱いがまかり通った。

 

「わかりました、コミュニケーション不足だったのかもしれません。お互いに行き違いがあったのかもしれませんね。今度時間を取ってお互いに納得の行くまで話し合いましょうか」なんてそんな「歩み寄り」の言葉は聞くことができなかった。

 

こちらの「意向」に対しては担当者の「メール」のみの回答。

 

私は取引先にとって「人権のある相手」ではなかったのだろう。

 

これが世間の常識だった。少なくとも出版業界における。

 

当時の担当者に感謝はしている、同時に「保身ばかりの人だった」という想いはいまでもはっきりと私の中に残っている。ただそういう「保身ばかりの人だった」ゆえ、私の本ができあがったのも事実。同時に私自身も仕事を失いたくないと保身で生きていたと気づいたのは当エッセイを執筆したからこそ。

 

私自身が自分の人権を心底大切にしていなかったのかもしれない。

 

似たもの同士だった、担当者と私は。もう一人の私が私の「担当者」だった。

 

ということで、

 

「終わりよければすべてヨシ」

 

私は搾取ゲームの中でそれでも数冊の本を上梓させてもらえた。その経験があるから「いま」がある。

 

あの時裁判を起こしたら、もしかしたら私にも勝算はあったのか。がその裁判が私にとって心地よいものをもたらしてくれるものなのか、労力を使い、お互いに傷つけ合い、それゆえの「勝利」を私の魂は歓びと感じられただろうか。

 

「あれはあれでよかった」

 

落ち着くところに落ち着いた。

 

それで十分だ。

 

そんな私の苦渋に満ちた経験と同じ想いをしている人たちがたくさんいる。その人たちは「いま」場合によっては家族とともに声をあげる機会に恵まれていることもある。

 

時代が変わった。

 

それだけでも素晴らしいことだ。なぜなら、私自身が自分を「奴隷」として社会の中に身をおく、という選択をしなくてもいい時代がきたというサインがあらわれているのだから。

 

なぜ奴隷社会がまかり通ったのか。そのベースに儒教の教えがあることに気づいた。

 

私たち「権力」のない弱者は「権力」のある一見「強者」に逆らってはならない、というような年功序列思想。年上のものに逆らってもいけないし、立場が上の人にモノ申してもいけない。その序列は一生変わらない。しかも女性はいつも「下」。それが「儒教」の根本思想だ。

 

旧ジャニーズ問題の中でよく「なぜ当人が生きている間に声をあげなかったんだ」と被害者を非難する声を目にするが、それがまかり通らない社会だったのだ、この日本、というシステムの中では。

 

この国は「勝てば官軍」、すべて勝者の理論の上に成り立っていた。

 

そう、つまりは「大日本帝国」システムは終了した。いま、その終焉に向かいつつあるところだ。

 

「終焉」を認めたくない層が必死にシステム維持を狙うかのように最後のあがきをしている。

 

大日本帝国劇場。楽しませていただきましょう。

 

私は二度と「奴隷」には戻らない。「奴隷」経験をしたからこそ、いまこころのそこからそう思える。

 

日の丸は戻ってきますよ、私たちの手に。

 

日の丸の「丸」が本当は太陽ではなかったという現実が明らかにされながら。

 

「奴隷解放」のメッセージを感じた途端、周りの目が気にならなくなった。

 

「社会」の奴隷から自分自身の意思で脱したのだと思った。

 

自分の意識こそがこの世界を創っている。

 

私は「奴隷システム」のいらない社会に住む。だから私の中に「奴隷システム」は必要ない。

 

長きにわたり「奴隷システム」を体験させてもらって本当にありがとうございました。

 

 

※ なるほど、キーワードは「搾取」でした。

 

実は今歯茎がはれ、愛犬・華実・はなみが亡くなった時の「エレファントマン」状態の再来か、というなんとも言えない状況が私に訪れています。

 

歯茎のトラブルというのは「搾取されていることに対する強い怒りによるもの」という心身医学的捉え方があります。

 

はれているのは左側。左、つまり女性性が何者かに性搾取をされたことに対して強い怒りを感じていて、それが症状となって表面化してくれている。

 

そう、「搾取された、悔しい~」という怨念が私の中で「膿み」となって息づいていた。そもそも「膿み」は強い怒りによって形成されるものだそうです。怒りのエネルギーが「膿み」という細胞を作り出すということみたい。

 

それが長年くすぶっていたけれど、ここにきて一気に発現化してくれた。

 

ということはここで「膿み」を出し切ってしまえ、という多次元的メッセージが届いているということでしょう。

 

折しも「いま」、この国で、【特捜 安倍派・二階派を強制捜査へ】というニュースがあがってきたばかり。

 

安倍派は清和会、清と和する会。

 

これが何を意味しているのか。

 

彼らは「保守」を装っていただけ、という事実が表出しています。

 

それと同じように私たち一人ひとりの中でも「ウソ」が暴かれる。そして「本当の本物の自分」にやっと手が届く。

 

いま、人生最大のチャンスともいうべきタイミングが来ていると感じています。

 

よかった、このタイミングで「膿み」が出て来てくれて。

 

それまでの「被搾取者の怨念」という痛みがここで一気に消えてなくなるはずだから。

 

同時にもしかしたら私自身も無意識のうちに誰かに対して「搾取」をしてきたのかもしれないから。

 

それらをすべて「受け容れる」ことで、私たちは真ん中に近づくことができるはず。

 

冒頭にきょうは「愛犬・宇宙・そら」の月誕生日と書きました。

 

明日は「愛犬・華実・はなみ」の月命日。

 

生と死、いのちのと魂の循環。

 

いつも、ありがとう。

 

 

 

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