「大和・やまと」、大変お世話になりました ~ 地名に隠されたヒントを探る

「日本者浦安國」

 

上記、「やまとはうらやすのくに」、と読むそうです。

 

「浦」は「こころ」、「安」は「安らか」の意味で、この日本という国は「こころ安らかな民の住む国」という意味だそうで、そもそも「うらやす」とは「日本国」の美称なんだとか。

 

ここまで読んだだけでシンプルに「あぁ、日本って素晴らしい国なんだな、素敵だな」と感じます。

 

ところがよくよく調べてみると「大和・やまと」という名称、記号は、そもそものこの国本来の名称ではなく、渡来の人たちがこの母子里を「やまと」と名付けたものがそのまま活用されているらしいということがわかってきました。

 

「浦安」と言えばディズニー・ランドで有名ですが、ディズニーのある場所の地名を「舞浜」と言います。諸説あるようですけど、「舞浜・まいはま」とは昭和15年(1940年)宮内庁で制定された「女児の舞」、それを「浦安の舞」と言い、その「浦安の舞」の行われるところ、という意味で「舞浜」と名付けられたとする説が見つかりました。

 

この「浦安の舞」からの「舞浜」説、経緯を調べてみると、どうやら「電通」関連の人が地元の不動産屋さんに伝えたものらしく、ということはもしかしたら「歴史修正」の匂いを感じなくはないわけで。

 

現時点での仮説、として「浦安」という地名、さらに「舞浜」という地名、どちらも「何か」、があるようです。

 

「浦安」には「弁天」という地名があるんですが、なぜか近くに「弁財天」の存在が感じられない土地。もちろん「浦安」自体に「弁財天」が祀られていないわけではありません。ただ、「弁天」と「弁財天」の場所はかなり離れています。

 

もしかして、かつて記録に残っていない時期に「弁天」と呼ばれるあたりに「弁財天」が祀られていたとか。また、他の地名は「村長」だったり「行政」関連の流れで名付けられたものが多いのですが、「弁天」だけは地元の漁師さんが元々そこを「弁天」と呼んでいて、ということで名付けられたとのこと。

 

ということは、本当にそこが「弁天」ぽかったか、「弁財天」の何かしらの影響のあるところだったのではないか、という気がしました。

 

「浦安」は江戸時代、徳川家康の天領として「塩生産」の保護がなされた地域だと言います。また大阪・佃島の漁師をこの地に住まわせ、漁業を活性化したのも家康なんだとか。

 

「塩」「漁業」と言えば「海」、「水」のカミを家康が大切にしないわけがありません。

 

もしそうなら、そもそも「浦安」エリアは「弁財天」のエネルギーが強かったところなのではないでしょうか。

 

いまはどんな神社や仏閣よりもひっそりとした場所、たたずまいで「浦安」の「弁財天」が祀られています。

 

浦安では漁業の衰退とともに、デイズニー・ランド誘致計画が進みました。ディズニーの土地の埋め立てを申し出たのは「プラスチック」系の企業だと言います。

 

オカルト的にみるとそもそもの水の「カミ」から石油系の「カミ」( としている説あり )=拝火教のゾロアスター教関連の渡来の「カミ」へと移行した ?  それに伴い、「浦安」という地名がここに「あてはめられた」 ?

 

なんでもはじめてこの土地に「浦安」という地名がつけられたのは明治22年(1889)4月のことなんだとか。そうであれば、私の「歴史修正」の匂い ?  という妄想、推察はあながちまちがいではないかもしれません。

 

誰も言ってないし、妄想レベルの話ですが、もしかしたら、「浦安」というのは、本当は「弁天」と呼ばれたエリアがかなり広くて、あるいは「弁天」のエネルギーがかなり強くて、けれど何かのタイミングにその「弁天」の存在が隠され、意図的に「浦安」という地名におきかえられた可能性があるところなのではないでしょうか。

 

地元の漁師さんだけはそのことを「潜在意識」で感じ取っていて、後に「弁財天」も祀られていない場所に「弁天」という地名が復活したのでは、と。

 

私は「弁天」にある植物園チックな公園が大好きで、かなりの頻度でお花を見に行っています。

 

今年は元旦から「赤梅」が咲いていました。その横には「黄梅」がジャスミンのような香りを発しながら、早い春の訪れを告げています。

 

その公園に「蛇が出ました。気をつけてください」の看板が。そこにはトグロをまいた「蛇」の絵が描かれています。

 

「弁財天」と「トグロをまいた蛇」でピンとくる場合もあるかもしれません。

 

初春の私の妄想です。

 

このエリアは「大和・やまと」のエネルギーの人たちが大和を主張する意味で海を埋め、海の生き物とそれで生活している人々のそれまでの記憶を塗り替えた、いわば「キャンセル・プロモーション」が行われた場所ではないか。

 

けれど、そのことに気づいたことで、本来のエネルギーが目を覚ましはじめた。いえ、本来のエネルギーは目を覚ましていたけれど、それに気づくのが私の場合「いま」になった。

 

もしそうだとしたら、この土地は「大和・やまと」チームが創った「こころ安らかな民の住む場所」というエネルギーと、そもそもの弁財天、人格神ではなく、宇宙根源神に近い「概念」「システム」がもつれ、本来的「水」のカミのエネルギーとひとつになるチャンスが「いま」巡ってきた「めざめ」の土地なのかもしれません。

 

これで前エッセイ、

 

 すべてを包含した「 ひとつ = 〇 」への回帰 ~『「1」か「0」か』、から、『「1」であり「0」でもあり』

 

の意味がよりクッキリとしてくるような気がします。

 

当エッセイはあくまでもいまの私が感じていること。正しいとかまちがっているとか、そういうところではなく、何かのヒントがあるような、という自分自身への探りの意味で執筆しました。時系列がわかりづらいかもしれません。多次元世界においては、「時系列」は関係なし、とする説が一般的なようです。

 

ちなみにこの「浦安」と呼ばれるエリアは、長い間、「陸の孤島」と言われてきたそうです。

 

【北側に隣接する旧南行徳、行徳(現在は市川市南部)を含めると、海と川に囲まれた文字通り「島」だった。」陸の孤島と東京 】

 

 

「弁天島」、日本全国にある島。

 

 

※ 「渡来」をなぜか「外来」と記していました。訂正しました。

 

もしかしたら「内と外の分離」意識に気づきなさいのメッセージかもしれません。

 

「内と外の分離」があったからこそ「ひとつの〇」を思い出せた。 

 

 

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