「空海」という記号を妄想でひもとくと……

「空海」とは海を空っぽにする、という記号ではないか。

 

そんなことが突然浮かんできました。

 

当エッセイは私が個人的に多次元的視点で感じたことを言語化したものです。特定の個人、団体、その教えを揶揄することが目的ではありません。私の「内」の世界の整理のための執筆です。ご理解のうえ、読み進んでいただけると助かります。

 

「空海」、そもそもこの名前にはどんな意味があるのでしょうか。

 

一般的に言われている「室戸岬で空と海を見て……」というのは、どうやら後付けのストーリーではないかとする説がみつかりました。その説によると、空海という名は入唐前の時期に名乗っていた「教海」と「如空」という名からとったのではないかとされています。

 

□  延暦12年(793)、空海は和泉の槇尾山寺で勤操に従って剃髪受戒し、大安寺所属の沙弥となり「教海」と名乗り、その後名を「如空」と改めた

 

□「教海」…教えの広大なる海に遊舞せんとする決意

   「如空」…悟りの世界をわがものとせんとする願い

 

ちなみに空海が遣唐使として日本をたったのは、延暦22年(803)だと言われています。しかも正式に出家したのは延暦22年4月7日、この日は一度目の「延暦の遣唐使」が大阪を出発した前日か前々日であり、ぎりぎりでの出家なんだとか。

 

実は空海は、そもそもが讃岐の「蝦夷・えみし」の末裔である「佐伯氏」の出身とすると説があります。これは割と有名な話のようで、その空海が後に「蝦夷」を征伐する側にくみしたというところが最大の謎となるところ。

 

その謎のヒントが「空海」という名前にあるように感じました。

 

上記、「教海」の意味をみると、海 =母に身を揺蕩わせるような壮大な拡がり感を感じます。一方「如空」の意味をみると、その広い世界観を自分の中にギュッと握りしめるといった、いわば独占欲あるいは支配欲のようなものを感じます。

 

ということはもしかしたら「空海」の名の「海」は「蝦夷系のカミ」のエネルギーで、一方「空」は「朝廷側のカミ」のエネルギーなのではないかという、あくまでも私個人の推察でしかないのですけれど。

 

このことから冒頭の「海を空っぽにする」ということが浮かんで来たのかもしれません。

 

「空海」と言えば、「真言密教」「高野山」の代名詞。「高野山」は過去のエッセイで記しました、「男色」の隠語だとされている言葉だそうです。どこかのサイトで目にしたのですが、空海が女性を愛した記録も残っていて、「男色」に転じたのはどうやら唐から戻ってからなんだとか。

 

私の中ではジャニー喜多川の性加害というテーマはここにつながっています。ジャニーの父・諦道は真言宗の僧侶、高野山とジャニーには浅からぬ縁があり、いまは姉のメリー史とともに「高野山」のお墓に眠っています。

 

ということはおそらく「高野山、男色」の課題は、昨年あたりから「封印」がとけはじめ、つまり何らかの呪詛が解けたのでは、というのが私の感じたところです。

 

「男色文化」の設定、浸透によって何を封印したのか ?  この母子里の「女性性」もしくは「女神性」ではないでしょうか。

 

そもそもこの日本列島には「女性将軍」が政・まつりごとを行っていた時代があると言われています。その時の政には「祭祀」も含まれ、シャーマン的能力のあった「女性将軍」が小さな集落のリーダーとなって、それらリーダーたちのもと多くの民がお互いに干渉せず、干渉させずという関係を保って争いごとのない穏やかな生活をしていたというのが今まで私がさまざまなところで学んだ知識の納得点です。

 

この時はまだ「国」や「統治」という概念はありませんでした。そう考えると政と言っても祭りごとがメインだったのかもしれません。いろいろな民族がお互いを尊重し合いながら、つかず離れずこの列島の恵みの中で豊かに暮らしていたとのこと。

 

もちろん「性差」による差別意識もなかったでしょう。

 

それが「縄文時代」。その時の「カミ」とされたのはこの土地の「地」の「カミ」、地母神であるところの龍蛇的エネルギー、あるいはシステム、概念。その「カミ」が「蝦夷」の「カミ」。これはのちの「アラハバキ」「瀬織津姫」「宇迦神」「弁財天」などと同格のものだろう、とされています。すべて人格神ではなく、しいて言うのなら「宇宙根源神」というエネルギーでしょうか。

 

それらは「水」、または「海」のエネルギーとみられ、それが「空海」の「海」に相当する部分。

 

「空海」は唐から異教のカミとともにこの列島に戻ってきました。それが大乗仏教の仏、 太陽神に起源をもち宇宙の根元とされる「大日如来」です。偶然でしょうか、入唐前名乗っていた「如空」…悟りの世界をわがものとせんとする願い、の意味は「大日如来」につながっているような気がします。

 

「空海」の名前をアナグラムの真似事でみてみると「KUUKAI」となり、中に「UKA」が見つかり、「宇迦神」とのつながりがみてとれます。もしかしてもうひとつの真意は「UKAKUI」、「宇迦神を食う」という意味でしょうか。すると「空海」の「空・くう」にもつながってきます。

 

ということは ?

 

空海はもともと「海のカミ」の意思とともに生きる運命にあった。ところが途中で何らかの意図により、その「海のカミ」を祀り上げると同時に、その力を封印するという呪詛を行い、結果それら「海のカミ」の力を支配する、という役割側にまわった。

 

その「呪詛」が解ける時、「空海」はそもそものルーツである「蝦夷」、ひいては「縄文」のカミである「海」のカミの元に戻れるのではないか、「海」のカミと大いなるひとつの「〇」に戻る……。

 

もしそうだとしたら空海の放ったロングパスは「いま」私たちのこの世界に届いたのかもしれません。空海は時空をこえて遠い未来の「自分」にパスを送っていたのでしょうか。

 

そのために「空海」は一見「海」のカミに背くという役割を担った。

 

なお、菅原道真が大使であった18回「寛平(かんぴょう)の遣唐使」は実施されませんでした。

 

菅原道真と言えば朝廷側から「祟り神」とされた人物です。

 

唐にわたった「遣唐使」のひとりは日本に戻ってきて「お大師さま」とされ、多くの人の尊敬を集めます。

 

この差は、唐に対する親和性の違いでしょうか。

 

ということは「唐」とはなんの象徴だったのか、なんの記号だったのかが透けてみえてきます。

 

仮に、私の「妄想」通り、「空海」の呪詛による封印のエネルギーが解ける時が来ているとしたら、「平将門」、「空海作の弁財天像の奥に隠された瀬織津姫」の力も本来のところに戻る時が来ているのかもしれません。もちろん「弁財天」のエネルギーそのものも本来の力を取り戻すのではないでしょうか。

 

その他の「呪詛」対象は不勉強なので「いま」はわからず、です。

 

空海と言えば「治水」や「霊水」の伝承が多いのですが、「水を治める」を冷静に捉えてみると、「水神を統べる」の意味とも取れなくはありません。また空海のルーツがもし本当に「蝦夷」だとしたら、水源のありかなど感知するのはお手のものでしょう。

 

ということは、「空海」の名前にはこの母子里の根源神のエネルギーと唐から来た渡来の神のエネルギーとの量子もつれの意味が最初から込められていたことになります。そのどちらもがあっての「空海」であり「いま」であり。

 

名前は大切、その人の「運命」が込められている。

 

昔の人は成長とともに名前をかえていた歴史もあるようですが、そのこと自体にも何かの秘密があるのかもしれません。

 

当エッセイ、執筆してよかった。

 

まったくの想定外でしたが、「空海」意識の封印の解除につながったのでは、とあくまでも個人的にそう感じました。

 

おそらく「弁財天」意識 (人格神ではない) が執筆を誘導してくれたように感じます。

 

もちろんこんな考え方はたいていの場合、共感を得られないことを承知のうえで。

 

くりかえしになりますが、これは私の「内なる世界」でのお話です。いかなる教義や信仰を否定したり、排除したりするための内容ではありません。

 

「弁財天」意識は「縄文」エネルギー。

 

まつろわぬ、まつろわせぬ。

 

 

 

◇ 参考

 

YAHOO ! JAPAN知恵袋  空海の名前

 

遣唐使と真言宗の伝来

 

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