男性原理・男性性優位の「宇宙原理」を超越する方法とは

歴史は勝者の視点で語られる。

 

確かにそのようです、私の理解するところでは「まさに」という感じ。

 

では「宇宙原理」はどうなんだろう、と。「宇宙」とつくと胡散臭いと感じるようなら、この世の仕組み、この地球のエネルギーとしてのシステムはどうなんだろうとみてみると、どうやらこちらも「勝者」の視点で語られているのかもしれないという気がしてきました。

 

ここでは便宜的に「勝者」の言葉を使います。実際には「勝者」も「敗者」もなく、同時に「勝者であり」「敗者でもあり」ということになり、本来ふたつにわけて考えるものではないとの理解が「いま」。話の流れ的に「勝者」「敗者」という二分した価値観で記します。

 

歴史的勝者とは ?

 

これは「統一、統治に成功したもの」「他者を支配、抑圧したもの」「他者の土地や財産、文化、生活などに侵略の意識をもって突き進んだもの」などと捉えることができます。

 

これらは往々にして「男性為政者またはそれに準じるもの」ということがみえてきました。性別としての男性だと差別につながるというようでしたら、「男性原理」または「男性性」という捉え方はいかがでしょう。

 

個人的に私は「カミ」とされる意識には「男性原理または男性性」のエネルギーと「女性原理または女性性」のエネルギーの双方が携えられ、両者のもつれによって「カミ」とされる意識、またはシステム・エネルギーなどが成立していると理解しています。

 

ということは、本来私たち「人間」も「男性原理または男性性」のエネルギーと「女性原理または女性性」のエネルギーの双方のもつれによって成り立っているということになります。

 

ところが「ある時点」で「男性原理・男性性」と「女性原理・女性性」が切り離されまったく別のものと意識されるようになりました。それを行ったのは「男性原理・男性性」のエネルギーです。なぜなら「男性原理・男性性」は「分離」のエネルギーをもち、「女性原理・女性性」はひとつになる、包含するというエネルギーを携えているとみるのが一般的見解だからです。

 

この一般的見解そのものに何らかのバイアスがかかっていないということを前提にして。

 

では歴史的勝者とは何を指すのか、といえば、「男性原理・男性性」優位の人物、おそらく「男性」権威者ということになるのではないでしょうか。

 

彼らはベースのところでひとつの「まる」だった宇宙原理を二元論で語ることがあります。「善」と「悪」とか「優」と「劣」とか。同時にそこにヒエラルキーを見出します。当然「上位」こそが素晴らしいという捉え方をします。

 

例えば「宇宙原理」を語る時によく例に使われる「ヨーガ」の理論。「ヨーガ」は元々古代インド発祥の伝統的な宗教的行法。「ヨギ」と呼ばれる男性修行者が「カミ」になるためにどうしたらいいかが体系化されたものです。

 

ただその歴史はあいまいで、いつ、どこで生まれたものかは明確になっていません。

 

おそらく紀元前のインダス文明が起源では、というのが定説ですが、その時代の文字は解読されていません。その後紀元前1500年頃から北からインドに侵攻してきたアーリア人が信仰、発展させた宗教「バラモン教」の奥義書である「ウパニシャッド【古代インドの後期ヴェーダ時代時代(前1000~500年)の文献の一つ】」にて、歴史上初めてヨーガについての記載を確認することができるそうです。

 

「バラモン教」の僧侶は男性です。「バラモン教」といえばカースト制度。ということは、現在流通している「ヨーガ」の教えの基礎、その読本などは「カースト制度」をベースにした「男性原理・男性性」優位の男性が体系づけたものとの可能性が浮かび上がってきます。

 

それを100%の「宇宙原理」と捉えるか、もしかしたらバイアスのかかった「宇宙原理」と捉えるか、受け取り方は人それぞれかもしれません。

 

私は「なぁんちゃって」ですが、15年ほど「ヨーガ」体験をしたことがあります。私の中では納得のいくところ、とこれは少し疑問と感じる両方とがあって、ムーブメントとしての「コロナ」が始まったとほぼ同時期に「卒業」しました。

 

いまでも時々瞑想もどきをしたり、身体を動かしたいなと感じたりはありますが、心身魂はあえて「ヨーガ」体験に戻りたいと欲していない様子です。

 

その理由のひとつとして考えられるのはヨーガを探求する女性の先生たちがそろって「男性化」意識が強くなっていくのを目の当たりにしたこと。彼女たちは肉体も「男性化」していきました。「道」を探求している時には気づきにくいものなのかもしれません、私は真剣に探究していたわけではなく、そのため没入意識が薄く、少し「引き」でみていたので明確にそれを感じました。つまり「女性」の中の「男性化」意識の増長とそれの「現象化」。

 

ただそれも最終地点をみたものではないのであくまでも「途中経過」をみる限り、の話です。

 

私自身はヨーガ「体験」をしている時にはリラックス効果が高く気持ちよかったのですが、卒業したいま、特に心身の調子が悪くなった様子はありません。もしかしたら、魂、心の歪みは和らいだかも、というのが自己評価です。ただし身体はかたくなりました。身体のかたい人はこころがかたい、というのがヨーガの一般的な考え方。

 

ということは私にはヨーガは向いていなかったのだろうと。けれどそれは15年間の「ヨーガ」体験があったからこそわかったこと。ヨーガ体験がムダになったわけではありません。

 

世の中にはタイパやコスパだけではない価値があるということを身をもって体験させてもらいました。

 

その「ヨーガ」をみて、部分的にでも経験して、もしかしてここでいう「宇宙原理」には「男性原理・男性性」のバイアスがかかっている可能性があるのかもしれない、という個人的結論にたどり着いたのです。

 

世の中にさまざまな思想体系や宗教などがありますが、その多くは、「宇宙原理」というと「ヨーガ」の理論がベースになっているのではないでしょうか。

 

もしもそうだとしたら、私たちが「宇宙原理」、または「宇宙のシステム」「地球のエネルギー・システム」と思っているものは「勝者」のためのものであって、「敗者」のことははじめから「除外視」されている可能性がゼロとは言えないということ。

 

その事実を認識し、一旦受け容れる。

 

ではその先にどうするか、と考えていくことで「男性原理・男性性」優位の「宇宙原理」を超越する方法がみえてくるような気がします。

 

男性原理と女性原理の均衡、男性性と女性性の均衡。

 

そのためには、いまある知識を一旦「更地」に戻すことが求められるのかもしれません。

 

世界の歴史、日本の歴史について、私はここ数年ですが少なからず、けれどまだまだ何もわかっていない、というレベルで勉強をしてきました。

 

その中で「男性原理・男性性」の特徴のフレームがみえ始めてきたのです。もしかしたらそれを反転させるくらいのパワーを放つ場合もある「女性原理、女性性」の特徴を探し求めることも同時に進めてきました。

 

まだまだ何が正解かわかりません。

 

少しずつ少しずつ「認知の歪み」を認識していくしかありません。

 

いまは、なんとなく、そのヒントがみえはじめたのかもしれない、という段階です。

 

当エッセイを執筆するまえに、「おおいなるひとつへの回帰」というメッセージが私の中に浮かんで来ていました。

 

私たちの中に「勝者」と「敗者」という対立構造があった時代の「宇宙原理」は、それはそれで素晴らしいものでしたが、それらを超越しつつ同時にもつれあいながら、さらにブラッシュ・アップした本来の「宇宙原理」とひとつになる時がきましたよ、というメッセージのような気がします。

 

 

 

※ 当エッセイは私個人の「内側」の整理のために執筆したものです。「いま」の理解、意識、ですので今後もこれと同じ内容がうかびあがるとは言えません。また、ヨーガやヨーガ哲学、ヨーガを探求する人々、男性、男性性、男性原理などを非難したり揶揄したりするものではありません。

 

 

 ◇ 参考

 

ヨーガ  フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

ウパニシャッド/奥義書 - 世界史の窓

 

 

 

 

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