埋め立て地、わが街にあらわれつつある水のカミのシンボル

朝からホンのちょっとしたことでこころが沸き立っています。

 

というのも今朝、この街に隠れていた水のカミのシンボルを新たに発見してしまったから。

 

そのカミとは ?

 

ちなみに私は「神」という概念はもういいかな、と感じていて、けれどまだ「カミ」という表記だけは気になっている段階です。

 

さて。カスケイド。小さな滝、という意味だそうです。

 

小さな滝 ?   瀬織津姫のこと ?

 

この時の瀬織津姫は人格神ではなく宇宙根源システムおよびその意識概念の意味で使っています。

 

わが街埋め立て地。ディズニー・ランドの誘致とともに開発が進められた土地です。

 

埋め立て地と言えば一般的にはゴミの島、あるいはエリア。神道的にはケガレチと表現されることもしばしば。

 

ところがこの街には不思議なシンボルが数々隠されていて、それでも顕在意識でそのことを気にかけて生活している人は多くないかもしれません。潜在意識ではわからないけれど。

 

わがマンションには小さな島を思わせる造作物とその周りに水が流れるエリアがあって私は個人的に「弁天島」と呼んでいます。

 

その小島の真ん中には数本の椰子の木。

 

民族学者の吉野裕子氏はアラハバキを箒神(ほうきがみ)との関連から捉え、箒・ほうきの本来の訓みは「ハハキ」であり、これを蛇の古語である「ハハ」に起因するという説を唱えています。

 

突然出てきた「アラハバキ」。『ウィキペディア(Wikipedia)』によると「アラハバキ」とは、

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主に東北地方から関東地方で信仰されてきた神。記紀神話や伝統的な民話などに登場しない謎の神で諸説あるが、「荒覇吐」「荒吐」「荒脛巾」「阿良波々岐」などと表示され、現代でも全国各地の神社でひっそり祀られている。但し、客人神(門客神)となっている例が多い。これは、「元々は主神だったのが、客人(まれびと、まろうど)の神に主客転倒したもの」といわれる(cf. 地主神)。

 

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となっています。その「ほうき神」はハハキ神であり蛇神であることから「蛇木(ははき)」ないしは「竜樹(ははき)」が祭りなどに使われていたととらえることができる。その「蛇木(ははき)」、「竜樹(ははき)」は沖縄では棕櫚・シュロの木であることが一般的というのが吉野氏の見解です。

 

私の中では椰子の木はほぼ棕櫚の木と同一、同格となっています。

 

冒頭の「カスケイド」。これはわが街初の大型マンションというべき施設の敷地内にあった「モニュメント」につけられた名称。わが街初ということは原初とか原始などのイメージを伺わせようとしているのかもしれません。

 

この街に住み始めて20年近く。なぜかきょうそのモニュメントに呼ばれるかのようにはじめてその名称を確認するにいたりました。

 

「えっ、小さい滝 ?」

 

「滝」「弁天島」と来れば弁財天と同格とされる瀬織津姫のことではないか。ふと浮かんできました。この時の弁財天も人格神ではなく。

 

最近私のエッセイは話があちこちにとびますが、それは「蛇神」のエネルギーに同調しているからではないかと個人的に感じています。

 

くどいようですが「蛇神」もまた「蛇」そのものを指しているのではなく「蛇的エネルギーが内包されたシステムおよびその概念またはエネルギー」とでも言ったらいいでしょうか。

 

上記「アラハバキ」の説明に「客人神」の記載があります。

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客人神とは、その神社の主祭神との関係が深くない神で、主神の祀られている拝殿の一隅に祀られたり、「門(かど)客神」と称され随神のような所に祀られたりする神である。略

 

このように客人神を外から来た神とする考えにに対して、(※ 阿部注 民族学者の )折口信夫氏は、次のように述べている。 「地主神みたいな、神杜以前の土着神―おそらく土地の精霊―を、かえって客神として取り扱う」。

 

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そう、一般に客人神と呼ばれるものは、後来の神ではなく、神社などが創建される前の土着神のことを言うのではないかとの説。

 

ということは「主祭神」が後来のカミ、「客人神」が土着、または先住のカミの可能性もあるということではないでしょうか。

 

このことから、私はひとつの仮説を立てています。

 

埋め立て地と呼ばれるこの場所がもしかしたら元々の「土地」だった可能性はないのだろうか ?  と。

 

わが街に関していうのなら、旧市街地である「浦安」と埋め立てエリア「新浦安」。一般的に両者は「元町」と「新町」と表現されています。「元町」にはそれなりに神社仏閣が点在していますが「新町」には何一つありません。言葉をかえれば「元町」には権力者たちの匂いがいまだ残っているということでしょうか。が実は歴史をたどってみると「埋め立て地である新町エリアこそが土着、先住の土地だった可能性はゼロではないのでは」と。

 

その先住の土地に潜在意識に残された水や滝のカミのシンボルが時空をこえてひとつひとつ形としてあらわれていると考えられなくはない。

 

滝、水、原初のカミ、瀬織津姫システム、のように。

 

ちなみにわが街、わがマンションの植栽のメインは多種多様な「椰子系」植物です。私はそのことについて「この土地はそもそも龍蛇族がいた場所、あるいは龍蛇族のエネルギーとつながる場所なのかもしれない」と感じています。

 

先ほど確認しました、わがマンションには確かに棕櫚の木が何本も植えられていました。他の椰子の木よりもヒッソリと目立たないように、けれどしっかりと根をはって。どちらかというと陽当たりのあまりよくないところに。

 

それら、目に視えない存在を一旦なきものにした。そこをあろうことかゴミの埋め立て地にしてたくさんの建造物でフタをした。

 

けれど土着のカミのスピリットはなくなりはしない。たとえゴミで封印されかけても多次元的エネルギーは本来のポテンシャルを失うことはなく、かえってより強い力をもって蘇るようにできているのかもしれない。いえ、もしかしたら土着のカミは自ら一旦姿を消したのかもしれません、瀬織津姫システムがそうだったのではないかとされる、そのことの証であるかのように。

 

私のこの妄想はそれなりに段階を踏んで、ひとつひとつ事実を確認してきた経緯があります。だから正しいという意味ではありません、妄想には妄想なりの真理を見出してお伝えしているつもりです、という意味です。それでもまちがいもあるのでしょうけれど。

 

そもそもこのエリアにはそれらしき祠がないのに弁天という地名が存在します。

 

調べてみると浦安が漁師町だった時代、弁天エリアは舟の発着所だったと。漁師たちが舟を出す時に自分自身の意識の中の祠に手を合わせていたただろうことは想像にかたくありません。それが弁天という地名につながっている可能性はゼロとは言えないのではないでしょうか。

 

潜在意識と顕在意識のはざまで数々の記憶がもつれあいながら息づく街。

 

この土地をケガレチとしたかった人たちの思惑の本質はなんなんでしょう。

 

けれどその仕掛け人のラスボスはおそらく「宇宙根源システム = 瀬織津姫、あるいはアラハバキ」エネルギーなのかもしれません。

 

表現が適切ではないことを承知のうえで「自作自演の結果」がいまなのか、と。

 

もしかしたら私たち自身の意識の反転の時が近づいているのかもしれません。

 

 

当エッセイ、執筆時かなり苦しみました。

 

何者かのエネルギーが私の中でパツパツに渦巻いているかのように。

 

 

※ 文章がぶつ切りですがそれにも意味があるのかもしれません。

 

東日本大震災の時、元町にはほとんど被害はなく、新町、特にこのエリアは液状化現象が顕著にあらわれました。当時はそんなことには気づくこともできませんでしたが、後から調べたところ、この辺りはどうやら「龍脈」らしきものが通っているらしいとの情報に遭遇したことをふと思い出しました。

 

ことの真偽は別にして「龍」「蛇」と関連のあるエリアというのはあながち突拍子もない妄想ではないのかもしれません。

 

 

◇ 参考

 

 『ウィキペディア(Wikipedia)』 アラハバキ

謎の神 アラハバキ 

 

 

 

 

 

 

 

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