縄文は何思う ~ 縄文人が進化して弥生人になった !?

最近どうやら縄文がマイ・ブームらしく、私の中に「蛇」「大蛇」「龍蛇」などの言葉がわいてくることが多くなりました。

 

今朝はトカゲに遭遇。トカゲはここ数週間、特に公園で見かける機会が増えました。公園という人目に付きやすい場所にわざわざ出没しているところがミソ。先日はナメクジだったか、をみて「そろそろミミズの季節ね」と。

 

ミミズ、三巳ズ、「三つの巳・へび」、なのか。

 

そう言えば前エッセイ  椰子に蛇の目 ~ ソテツにほおずき !? の中で私はこう記していました。

 

【 わが街、まもなく8年ぶりに「浦安三社例大祭」が行われます。略

  

また「三社」と打とうとした時に「三蛇」と出ました。もちろんこれは蛇関連について述べていたからですが、そんな偶然にもメッセージがあったりするのかもしれません。あるいは「参蛇」とか。】

 

見事に上記「ミミズ」とつながっています。

 

さて、「縄文」について。

 

以前私はブームとしての「縄文」と距離をおくため、意図的に「縄文」という単語を避けていました。ところがここ数週間、「明言」の機会が増えて来ていることから、おそらくこれはそういうことなのだろうとあえて逆らわず「縄文」について記していこうという気持ちに変わっています。

 

以下は世界遺産 北海道 北東北の縄文遺跡群 というサイトの『縄文人(じょうもんじん)のすがた』という記事の抜粋です。

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縄文人(じょうもんじん)の平均身長は、男の人が157センチメートルくらい、女の人は147センチメートルくらいでした。身長は低めですが、手足にはきん肉がしっかりついていました。狩猟(しゅりょう)や採集などを行うために、きん肉が強くなったのでしょう。

 

顔は、目が大きく二重まぶたで、くちびるが厚いなどの特ちょうがありました。縄文(じょうもん)時代のあとにはじまる弥生(やよい)時代の人と比べると、ほりの深い、くっきりとした顔です。

 

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以下は日本史の考え方120「なぜ弥生人は縄文人より背が高いのか」 というサイト記事の一部引用です。

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高等学校で使用する日本史の教科書には、次のような記述がなされています。「弥生人骨の中には、縄文人骨に比べて背が高く、顔は面長で起伏の少ないものがみられる。」

 

日本人を含むモンゴロイド(アジア人種)は、古モンゴロイドと新モンゴロイドにわけることができます。

 

低身長で、顔が幅広く高さが低く、凹凸に富むという古モンゴロイドの特徴は縄文人にみられます。

 

日本に弥生文化(農耕・金属器などを伴う文化)を持ち込んだ弥生人は、朝鮮半島から日本へ渡ってきた渡来人(とらいじん)たちであり、彼らは新モンゴロイドの特徴を持っていました。

 

縄文人が弥生人になったのではありません。

 

縄文人と弥生人は、同じモンゴロイドでも「新・古」の違いがあるのです。

  

新モンゴロイドである弥生人は、古モンゴロイドである縄文人に比べて高身長で面長という特徴を持っています。

ですから、そもそも弥生人は縄文人より背が高いのです。

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上記2サイト情報を合わせると、

 

□ 低身長で、顔が幅広く高さが低く、凹凸に富むという古モンゴロイドの特徴は縄文人に多くみられる傾向

□ 高身長で面長、かつ古モンゴロイドと比べるとあっさりした顔の新モンゴロイドの特徴は弥生人に多くみられる傾向

 

ということが言えるでしょうか。つまり、

 

□ ( 一般的に言われるところの ) 縄文時代と弥生時代そのものの気象だったり風土だったりの特徴の差異が明確に存在したのだろう

□ 古モンゴロイド(縄文人)と新モンゴロイド(弥生人)の特徴の差異が明確に存在したのだろう

 

ということが見え隠れするということです。しかも両サイトの共通項として、

 

□ 私たちのルーツは農耕民族 という一般的見解には明らかに疑問符がつく

 

ということもうかがえます。

 

それでも何も断言はできません。なぜならこの世界には私たち人間にはわからない事実がたくさん隠されているから。

 

それにしても、私たちが学校で歴史を学んだ頃には、縄文時代という原始生活が進化して弥生時代が生まれた、あるいは弥生時代になって人間の暮らしが明らかに文明化、進化し、それに伴い人間そのものも進化した、というようなニュアンスで教わらなかったでしょうか。

 

縄文は弥生に比べて野蛮で粗野だった、というように。

 

いや、縄文時代と弥生時代ではそもそも代表的人種に差異があったのかもしれない、ということになればその後の歴史の捉え方も大きく変わってくるはずです。

 

これらを江戸時代から明治時代に移行した「にほん」の姿と重ね合わせてみると。

 

鎖国をして、世界的に遅れていた「江戸にほん」に歴史的革命が起こされて、それらによって「明治にほん」は世界へと進出できる近代文明国へと変わることができた。

 

これが私たちの習った明治維新の一般的真相です。

 

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「ざんぎり頭をたたいてみれば文明開化の音がする」

 

これは明治のはじめ頃さかんに歌われた歌の一節です。ざんぎり頭というのは、西洋風に短く切った髪型(かみがた)のことです。ざんぎり頭のように、日本はさまざまな分野で西洋式を追いかけはじめました。文明開化です。それまでの伝統的な生活様式がかわり、近代化が進んでいきました。

 

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これはNHK for Schoolという現役の先生向けに創られたサイトです。

 

また、この歌の解釈のひとつにこんなものもありました。

 

【 散切り頭とは、ちょん髷を切り落とした髪型のことで、この歌は散切り頭の人を、近代化の潮流に乗った先進的な人だとして賞賛したものである。 Weblio 辞書  より  】

 

「江戸にほん」は西洋式ではなかったけれど相当な文明社会だったことが昨今明確になりつつあります。 

 

西洋式の後追いを「文明開化」と言い、さらにその潮流に乗った人を「先進的として賞賛した」ということは、視点、目線はどこなのか、少し冷静に考えればすぐわかること。そうやって私自身もずぅっとその内容を信じてきたわけですが、「新」が「古」に勝るというような価値観はこういうところでも私たちの意識の中にしっかりと植え付けられていたということもわかりました。

 

あえて「縄文」「弥生」と区別する必要はないのかもしれません。その一方で先住の民は「古モンゴロイド」で彼らの文明を縄文という、という大前提だけは認識しておいた方が視点がフラットになるかもしれません。

 

モンゴロイドという言葉でなくても「旧」があって「新」がこの母子里に移入してきたそのタイミングで「縄文」が「弥生」へとガラッと変わった、という事実認識はその後の歴史においてもとても重要なポイントになるような気がします。

 

「縄文」の民はいわゆる「蛇族」「龍蛇族」だとする説があります。これは人格神としての蛇神ではなく宇宙根源意識のエネルギーおよびそのシステムのことを指した概念です。

 

「蛇」を祖神と捉える民族学者も存在します。また天皇陛下も令和4年4月、熊本県熊本市熊本城ホールで開催された『第4回アジア・太平洋水サミット』で、龍蛇信仰における人と水との関わりについて述べられました内容は宮内庁のホーム・ページで確認できます。

 

では「弥生」の民は何を信じていたのか、崇めていたのか。そのヒントはもしかしたら「明治維新」にあるのではないか。

 

それがなんであれ、その大元はしかし、ひとつなのだ、同時にひとつではない、という、なんとも螺旋的なもつれが存在するらしい、というのが現時点での私の個人的見解です。

 

ちなみに私は小柄で下半身がっちり、黒目の大きい二重ですから、おそらく「古」人種のエネルギー系系譜ではないかと推察できます。もちろん「私は縄文系だ」とは断言はできません。

 

縄文系であり、かつ縄文系ではないし、弥生系であり、かつ弥生系でもない。

 

私は何者なのだ、という重要課題にぶち当たるわけですが。

 

縄文の民は犬を狩猟のパートナーとして大切に扱いました。

 

弥生の民は犬を家畜、番犬として所有、支配しました。

 

犬に対して人が「オーナー」であるという概念は少なくともこの母子里固有のものではないのではないでしょうか。

 

犬、だけではないもののそれら「家畜」とされているのではないか動物の生死において大きなウェイトをもつ「獣医」という単語。

 

急にこの言葉が浮かんで来て、強いひっかかりを感じました。

 

「蛇」「龍・りゅう」を「獣」としたエネルギー系統、概念が私の中でリセットされたようです。

 

 

 

 

 

 

 

 

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