パターナリズムからの解放

 

軽い話題を書きたいのに、なぜか続く「解放」シリーズ。

 

今回は「パターナリズム」。

 

パターナリズムとは ?   ここ数日前に知った言葉。

 

ざっくり言うと、強い立場の人が弱い立場の人に対して、その人の意思によらないところで「介入」「干渉」「支援」することを言うらしい。

 

日本語では、父権主義、家父長制と表現される言葉らしい。

 

例えば、専門家と素人、医師と患者の間には、成立しやすいものだという。

 

医療現場においては、「医療父権主義」なるものの問題化があったとさえ言われているそうだ。

 

元々は親が子どものためを思って「父権」を活用する、というような意味合いがあるとのこと。

 

それを「愛情」と取るか、「干渉」と取るか、受け取り方はその人の立場によって異なるものなのかもしれない。

 

「あなたのために」と聴かれてもいないことをアドバイスした場合は、干渉になると言う。親切のつもりがおせっかいになってしまうということらしい。

 

日本人は他者との境があいまいなため、人を助けることは基本「善」であり、その内容が時に自分の意に反して「干渉」「介入」になるとの認識をもっている人はほとんどいないのではないだろうか。私も含めて。

 

特に何かの専門家の立場の人は、素人の立場の人に「こうした方がいいですよ」と強要まではいかなくても十分「干渉」に値する言葉を口にするケースが少なくない。

 

私たちはお互いに教師であり、生徒でもある。

 

「父権」というような上下関係も大切だが、「対等」という視点を持てば、必要以上に「干渉」「介入」しなくて済むのかもしれない。

 

私自身、専門家の端くれになる時もあれば、素人の立場になることもある。

 

おそらく、なのだけれど意識のマウンティングを外すこと。

 

これが私自身へのメッセージなのだろう。

 

私たちはフラット、対等。対等の人間として、相手を尊重し、自分を尊重し。

 

そんな人間関係を大切にしなさい、とのメッセージが、「パターナリズムからの解放」という言葉に置き換えられたような気がする。

 

重いテーマなのだけれど、案外さらっとまとまった感じ。

 

解放とはこころが軽くなること。ヒーリングそのもの。

 

 

 

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※ 追記

 

私たちは、植物や動物に対して、時にパターナリズムを発揮していないでしょうか。

 

ペット君に対してはどうでしょう。

 

どこまでが「愛」で、どこからが「干渉」「介入」なのか、とても難しい課題ですね。「過干渉」という言葉もありますし。

 

 

 

 

 

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