悲劇のヒロイン癖、解放しました

今朝の「排便」、朝から申し訳ありません、とてつもなく「でかい」のが出ました。

 

これは私の中のこころの大便が大量に出たよ、のサインなのです。

 

それはこんな形で訪れました。

 

きのうのこと、カウンセリングの参考にと楽しみにしていた本が届き、一気に読みました。

 

書いてあることは素晴らしい。

 

ところがたちどころに気持ちが悪くなったのです、生気を奪われた感じ。

 

なんなんだろう。

 

その感覚は今朝まで続いていました。

 

ここ最近では「最高」と思えるレベルでの落ち込みです、早い話、最悪な気分。

 

その本はあるセラピスト系の方の本でした。その手の本を読むと一時的にエゴが抵抗してどん底気分になることは今までもありましたが、割とすぐに回復するんですね、今までのパターンだと。

 

今回は抜けない。亡霊か何かにとりつかれたような感じ。その経験はないですけど、なんとなく感覚的に。

 

やっとわかったのは、虐待体験があるというその著者さんは、「私はかわいそうな人間」というエネルギーたっぷりで、他者に愛の枯渇を埋めて欲しいという欲求が半端ないということ。

 

私は「H・S・P」であり、「エンパス」体質なので、その影響をもろに受けてしまった様子です。しばらくエネルギーを感じていたら、「独占欲」という概念と「被害者意識」という概念が浮かんできました。

 

その著者さんの感情がトリガーになったのだとは思いますが、これらの感情は誰にでもあるもの。もちろん私の中に皆無であることはありません。そのエネルギーをすべて感じ切りました。感じると自然に解放に結びつきますから。

 

なるほど。ストーリーとしてはこんな感じです。人には誰にでも独占欲があって、幼い頃、私たちは特に母親の愛を独占しようとします。それは悪いことではなく自然なこと。

 

ところがその独占欲が満たされなかった場合に、ずっとこころの中にその独占欲がくすぶります。おそらく、なんですがその著者さんは虐待を受けることで瞬間的にお母さんの注目を独占していた。母親から虐待を受けることで母親との深いつながりを感じていたようなのです、潜在意識の部分ですから、ご本人にはその意識はないはず。

 

大人になって虐待を受けることはなくなったけれど、幼い頃のそのこころの傷が虐待体験に近い状況を呼ぶことでその対象者から注目を浴びることによって愛情を受け取った気分を味わっているようです、無意識のうちに。

 

本を書く時に当然その著者さんはご自身の幼い頃の記憶が蘇っています。虐待体験をしていた当時に瞬間瞬間戻っていたのでしょう。その感覚の中で執筆をしているので、その時の状況とその時のエネルギーが読者である私に伝わり、私は一時的にその著者さんのお母さんのような存在になり、その私の注目を感じ取ることでご自身の愛の飢餓感を埋めようとしていたのかもしれません。もちろん無意識のうちに。

 

いわば、その著者さんのお母さんからの「注目」「愛情」行為の代替行為、補填行為が読者である私によってなされたということ。そう、そのご著書はその著者さんにとっては、お母さんに向けたお手紙だったということです。

 

もちろんその著者さんが特定の読者に対して何かの意図をもったわけではありません。たまたま私の体質がそれを感じ取ってしまっただけ。すべての読者が同じ体験をしているとは限りません。そういう意味ではエネルギー上、ご縁のあった方なのかもしれませんね。

 

今回の深読み、ちょっと今までにないパターンで自分でもびっくりしています。

 

がそのお蔭で私自身の「独占欲」「悲劇のヒロイン癖」との統合、そして解放がなされてしまったようなので、結果的にはとてもありがたいことでした。それにこの深読み自体、私の妄想の可能性もありますし。

 

セラピストやヒーラー、私のようなカウンセラーもそうですが、基本的に愛に関する課題を抱えています。その場合、たいてい愛の対局の経験をしています、幼い時に。それを自分の中できっちりと昇華できたり、統合できたりしている場合はこの手のことは滅多におきません。

 

が私が認識する限り、自己欺瞞を抱えている人が少なくありません。自分と自分の理論との乖離が起きているのです、無意識のうちに。いえ、むしろそうでない人はほとんどいないと言っていいかもしれません。

 

私自身もそういうところがゼロではない、たぶんにある、だからこそ自分自身の真ん中に意識を寄せなさい、という戒めのメッセージが込められていたのかもしれませんね、今回の出来事には。ということはあの本とのご縁もその後の体験もすべて私の前進に対する、あちらからのGiftだったということです。

 

その著者さんの理論は素晴らしかったのですが、本はすぐに手放すことにしました。私のカウンセリングは理論重視ではないので自分の感覚にさらに寄り添うために。

 

これは逆に言うと、理論は現時点で十分マスターできているから安心しなさい、のメッセージだと受け止めました。

 

本とのご縁にはこんなケースもあるよ、というお話です。個人的にその著者さんを非難したり、否認したり、の意図はありません。もしかしたら私の気づかない何かをみせてくれた著者さんなのかもしれませんから。ご縁に良いも悪いもないのです。ただ「ご縁」が在る、だけ。

 

そういえばその著者さんのプロフィール、かなり立派でした。

 

権威に対する私自身のコンプレックスを手放しなさい、という意味もあったのかもしれません。

 

 

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※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。トッピングごはんの看板を外しました

 

私自身は親からの虐待の経験はありませんが、自分で自分を虐待するという、「セルフ・ネグレクト」傾向が強かったことにここ数年で気づき、統合・解放のプロセスを踏み続けている段階です。

 

「悲劇のヒロイン癖」を持ち続けていると「セルフ・ネグレクト」傾向が強まる、という説もありますので、そのいずれもを抱きしめて解放してあげられるといいのかもしれませんよね。現実にはなかなかむずかしいことではありますけど少しずつでも。

 

 

 

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