「私たちに天罰はくだらない」

「私たちに天罰はくだらない」、突然わいてきたこの概念。

 

私たちはよく「バチ」があたる、という表現をしますね。

 

今、自分が不遇と思える状態にあったとします。

 

「あぁ、あれをやったからバチがあたったのかな」

 

例えば突然ケガをしたとします。

 

「あぁ、天罰 ?」といった具合に感じたことはないですか。

 

犬猫ちゃんが病気になります。「私の〇〇がいけなかったから ?」という感じです。

 

さまざまな宗教や文化があるので、すべての人が同じように感じるとは思いません。たまたま私の場合は「今」このような気持ちが浮かんできただけのこと。

 

「大いなる存在は私たちにバチをあたえたりしない」だから、「私たちに天罰はくだらない」。

 

もし万が一「あぁ、天罰だ」と感じたとしたら、それは自分自身の意識がそう感じただけで「天」の意向とはまったく関係ない。

 

そぅ、たまたま私の意識の中から浮かんできました、このタイミングで。

 

ということは、今までの私は「あぁ、天罰だ、バチがあたったんだ」という思いがデフォルトだったということなんでしょうね。

 

そういえば先日、愛猫ちゃんが旅立ったという知人が、「私の判断ミスであのコはなくなった。今、懺悔の想いでいっぱいだ」という内容のメールを送ってきてくれました。彼女はそう感じているのですね。過去の私はそれに近い状態が多かったのかもしれません。

 

あの時はそうは言えなかったけれど、今なら言える、「そんなことはないと思うよ」と自信をもって。

 

自分の真ん中に信頼を寄せる でお話していますけど、私たちは自分自身の真ん中とつながると、今まで信じ切っていた常識が突然クルンと覆ることがあるんです。

 

愛猫ちゃんを喪った彼女は まだいたみの最中だったので、自分自身の真ん中とつながる余裕がなかったのかもしれません。そういう時間も必要ですね、人には。

 

けれどもし気持ちに余裕ができたら、自分自身の真ん中に信頼を寄せて、「あのコは私の判断ミスでなくなったんだよね、私は懺悔すべきだよね」と聴いてみるとよいのです。

 

自分の真ん中がそれに対して「Yes」か「No」かを教えてくれるから。

 

今、あなたがお辛い状況にあったとしても、それは天罰なんかじゃない、と私は思いますよ。むしろ天からのGiftなんじゃないでしょうか。

 

どう視るかは人それぞれ。常識をどうとらえるかで私たちの人生は大きく変わります。

 

 

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※ 追記

 

おとといあたりから少し気分が下がっています。私の真ん中からドヨンと重いものが次から次に浮かび上がっていてかなりヘビー。

 

天罰ではなくGift。デトックスですから。

 

まもなく気分が上がるよのサインです。そういえばきょう皇后・雅子さまのお誕生日らしいですね。いて座生まれ。実は私もいて座です。

 

たまたま調べものをしていたら、2020年のいて座のキーワードは「豊かさとアモーレ」、という記事に遭遇。まったく別のことを調べていたのに、このシンクロ=共時性に勇気づけられました。これを享受するために今のうちに重~いモロモロを手放しておきなさいというあちらからの「愛」をしっかりと感じておきます。

 

微熱の中での執筆。これはこれでアリ。「書く」と楽なんです、私の場合。

 

 

 

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