ハートの体幹を鍛えよう

体幹。身体の幹のこと。

 

私はこれを身体の芯と捉えています。コマがあるとします。コマの真ん中の軸棒がユラユラしていたらそのコマは綺麗に回ってくれませんね。

 

ヨーガや太極拳は体幹が鍛えられる、と言われていますが、私はダメでした。ヨーガはなぁんちゃってですが15年ほど続けています。結論から言うと、ここ2年ほど続けているピラティスのお蔭で体幹が鍛えられ、その流れでヨーガや太極拳のポーズが安定してきた感じです。体質や人生の課題によるんでしょうか、私はそうでした。

 

身体の真ん中に一本芯棒が通った感じで、今までできなかったヨーガのポーズ、アーサナ、と言います、それができるようになったり。ほんの少しの変化ですが、それでも確かに変化は感じられています。

 

ではハートの体幹を鍛えたらどうなるでしょう。

 

ブレが少なくなります。自分軸がはっきりしてきます。このことは私自身が体感していることです。ハートの体幹とはなんなのか ?   それが「エゴ」ではないかと。「エゴ」の捉え方はさまざまですが、お釈迦さま的には「我」という言葉で表現されるもの。

 

深層心理学者のユングは徹底して「エゴ」に向き合うことの重要性を説いています。一方、お釈迦さまもそうなんだとか。にわか勉強の知識ですがお釈迦さまの教えの中に自己確立を意味する「我具足」という言葉があるそうです。それは文字通り我をしっかり備えること。

 

一般に「我はいけないもの」とされていますが、「我」を見極めることは生きるうえでとても重要だ、ということなのではないでしょうか。

 

私はユング理論に先に触れ、徹底的に「エゴ」に向き合うという実践を続けてきました。五年たった今、それはお釈迦さまの教えとも共通するものだった、ということがわかったのです。

 

「エゴ」とは、たとえば光と影の影の部分だったり、あるいはネガティブ、と言われる感情だったり。「私はこう思います」「私を認めてください」という、人間として当たり前の感情だったり、でしょうか。ここでは「エゴ」の専門的な解釈ではなく、私たちが普通にとらえると、という視点でみています。

 

「エゴはいけないもの」との情報が私たちの体内にしみ込んでいますから、特に日本人の場合、「個」をなくす、という考え方が一般的な中で人生が育まれています。すると。実はエゴが肥大化するのです。例えば「利他」の概念のもと生きている人が自分の子供としての欲求を満たしてない場合、欲求不満が起こり、「自分はすごいんだ。他者は自分より劣っているんだ」という感情が大きく膨れ上がります。「利他」という概念を持つ自分はすごいんだ、というエゴが勝ってしまうのです。あるいは自分はすごいんだということを他者に認めて欲しい、という欲求がどんどん膨らんでいきます。

 

これは誰でも陥りやすい、人間としての性、のようなもの。私自身ももちろんそうです。

 

ですからエゴを肥大化させないために、まず自分のエゴを認め、徹底的に向き合い、受け容れる、という作業が必要になります。たいていの場合これをスルーしてしまいます。

 

すると成人して、こころが空っぽのまま「利他」を求めるので、結果、意識が高いと思える人たちの理論を自分のものとして取り込むようになります。けれどそこに「我」が確立していないので、周りの意見に流されるようにして不自由に生きる、という現象が起こります。極端な場合、カルトなどの教祖の自我を刷り込まれる、ということも出てきます。

 

これは「自我否定言説」に従ったため起きる人生の課題です。人生の課題なので、気が付いたらかえればすむこと。逆の言い方をすれば「自我否定言説」が強くしみこんでいる場合は、「我」を確立する大きなチャンスがある、ということになります。

 

もちろん「自我否定言説」で人生がうまくいっている場合はそのままで大丈夫です。私自身は「自我」を肯定して、気持ちが楽になったし、生き方も変わったし、というメリットがあったので、その視点でお話をしていますけど。

 

そう、ハートの体幹を鍛えるとは、私にとっては「エゴ」に向き合い、「我」をしっかりと認めるということになります。

 

私は自愛 self love という概念を自分自身の生き方の柱にすると同時にカウンセリングのテーマとしても掲げています。

 

まず自分。自分を甘やかすのではなく、自分のありのままをみつめて自分自身に近づく、ということです。それによって自分自身の真ん中が満ちてきます。するとそれは自然にまわりにあふれだします。自然に「自愛」が「慈愛」に変わる時がくるのです。

 

2019年12月16日、心理学と東洋思想の融合、という次なるお題が届きました というお話をしています。それから二十日あまりで「エゴ」と「我」の共通項、ユング理論とお釈迦さま理論の共通項についてお話することができました。ということは、心理学と東洋思想の融合、というテーマはまちがいではなかった、きちんとした道だったということがみえてきました。

 

さてさて、こころと身体は連動しています。こころに起きることは身体にあらわれ、身体にあらわれたことはこころにも同じような状況が起きている、ということ。

 

身体側の体幹を鍛えることに意義を唱える人は少ないはず。では、こころはどうか。答えはとってもシンプルですね。

 

私の場合は、こころも身体も体幹を鍛え続けていく、という人生の課題を楽しみます。

 

 

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※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。Lucky !  コノハミミズクに遭遇

 

自我に向き合う、受け容れる。この作業はとっても大変な作業でした。途中、エゴが肥大化したこともありました。それでもこの道を信じて続けてきてよかった。

 

五年間の苦しみのお蔭で、ハートはずいぶんと軽くなり、しなやかになってくれました。

 

それでもまだまだ、なのです。まだまだ、なのがあたりまえだともわかりました。

 

参考 『苦しまなくて、いいんだよ。』 プラユキ・ナラテボー著

 

ユング理論は難解で私の理解度は20%くらいかも。が、ユングの自伝は人生をかえるほどの力をくれました。ユングのハートの力が伝わってきたからなのかもしれません。ユング信奉ではありませんが共感するところは参考にさせてもらっています。エッセンスをふりかけてもらっている、という感じです。

 

 

 

 

 

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