母性と女性性の統合

「母性」と「女性性」、もしかしてベツモノと捉えることができるんでしょうか。

 

一般的には「女性性」の中に「母性」が含まれています。仮にこの二つをベツモノとして考えた場合、なるほどそういうことなのか、という一つの仮説が浮かんできました。

 

「母性」、これは「聖母信奉」に近い感覚。ここでいう「聖母」は宗教的な教義によるものではなく、私たちがごく当たり前に考える「聖母」のこと。なんでも受け容れてくれる、理想的な母親像のようなものです。

 

一方、「女性性」、これは肉体的なことも含めて、ドロドロとした女性の感情、意識なども含めた部分。

 

私たち女性自身にも「聖母信奉」があり、一方で「女性性」に対する嫌悪感、忌避感など、「母性」は素晴らしいけれど「女性性」はそれに劣る、という認識がある場合があるのではないかと感じました。

 

そう、理想の母親、およびそのイメージは尊くて、けれどごく普通の「女性的」な部分、特に肉体的な部分などはそれに比べて卑しいとか、そんな差別をしているのではないかと。女性による「女性性へのかたより意識」がある、という意味です。

 

もしこの仮説が成り立つとしたら、女性自らが「母性」と「女性性」を統合することが大切になります。

 

あえてあてはめるのなら、「母性」は「アガペ」の部分、「女性性」は「エロス」の部分と言ったら伝わるでしょうか。

 

精神的愛、であるところの「母性」と肉体的愛であることろの「エロス」の統合です。ただ、ここで言いたいのはそれだけでなく、ところが今適切な表現が見当たらなくて。ただし、「アガペ」と「何か」であることは確か。もしかしたらその「何か」とは「エゴ」の可能性もあるかもしれません。

 

この感覚に比較的近い考え方をしている専門家の書籍からの引用をさせてもらうと、「母性」=「聖母」、「女性性」=「バッド・マザー」という対比になります。「バッド・マザー」の部分には当然「女」としての愛欲だったり肉欲だったり執着だったり、が含まれています。

 

この、「聖母」の部分と「バッド・マザー」あるいは「バッド・ウーマン」のような部分とがバラバラになってしまっているのではないか、多くの女性の中で。そんなことを思いました。

 

女性自身が、包括的な愛のもとに生きる「母性」は認めているけれど、エゴイスティックな女性っぽい感情、意識を比較して、優劣をつけ、自分の中の「バッド・マザー」「バッド・ウーマン」の部分をみないようにして抑圧してしまっている。

 

すると必要以上に「聖母」であろうとし、本来の自分とかけ離れてしまって、「バッド・マザー」「バッド・ウーマン」の部分を他者、特に母親に投影してしまう可能性が出てきます。「バッド・マザー」「バッド・ウーマン」である自分をよくないものと思いすぎてしまうのです。

 

なぜこの考え方が浮かんできたのか、というと、ある本のAmazonレビューをみて。女性の味方である、という立場の専門家のベースに「バッド・マザー」「バッド・ウーマン」に相当する部分の「忌避」「嫌悪」「排除」のエネルギーを感じると。そういう表現では書かれていませんでしたが、そのレビューを私が咀嚼するとそのような内容になりました。

 

実はこの専門家の別の著書を読み終えた時、書いてあることは確かに、と感じることも多いけれど、何か、大切な大前提のようなものに妙な違和感を感じたのです。なるほど、こういうことか、とストンと腑に落ちました。

 

では私自身はどうなのか。無意識の中にそのような感情がないとは言い切れない。それなら、私自身が「母性」と「女性性」を統合し、本来の意味での「女性性」の成熟を目指せばいいのでは、と感じ、それらの意識を感じ切ることにしました。

 

くり返しになりますが、本来、「母性」は「女性性」に含まれています。深層心理学の考えを取り入れるのなら、「女性性」の中には光の部分も闇の部分も混在しています。「母性」だけが独り歩きをする、ということはありません。

 

何かの段階で「闇」をみないようにしようとした心理が「母性」=「聖母」=「女性性」のような図式になってしまったのかもしれませんね。

 

今、なぜ女性自身が「母性」と「女性性」を統合し、本来の「女性性」を成熟させた方がいいのか。

 

そういう時代になったから、ということが一つの答えではあると思いますが、納得のいかない場合もあるかもしれません。

 

個人的に見るなら、そうした方が自分が楽だから、ということが言えます。自分が楽になるということ。自分自身のバランスが整いやすくなるということです。

 

ご自身の女性性に関して、なんかスッキリしない思いを抱いている場合、私の上記の仮説を取り入れてみてはいかがでしょう。 私自身は表現がどうであれ、自分の内部でバラバラになってしまっている女性性を一つにとりまとめるという感覚には心地よさしか感じませんでした。

 

あぁ、やっとおさまりがつきはじめた、という安堵感とともに。

 

 

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※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。右手の親指にできたのはヘルペス !?

 

参考 『インナー・マザー あなたを責めつづけるこころの「お母さん」』斎藤学著

 

この著者の書籍はこれがはじめてです、どういう人なのか、ほとんど何も知らずにこの本を買いました。後でレビューなどを読んでみると「合わない」人もいるようです。

 

私自身はかなり的を得た内容の書籍だと感じました。私たちは専門家を選ぶ時に「男性だから」「女性だから」という視点で選別をすることがありますが、それこそ意識の上の差別かもしれませんね。

 

男性であっても女性性・男性性のバランスが取れている人もいれば、女性であっても女性性のバランスが崩れている人もいる。専門家であるからすべての人が女性性・男性性のバランスが取れているわけではないということです。

 

では自分はどうなのか。もしもバランスの崩れが少しでも認識できるのなら統合の余地あり。逆にいうと、まだまだ発展途上にある自分自身を受け容れることができるチャンスです。

 

女性性・男性性、ともに完璧なバランス、という人はほとんどいないはず。であれば、「自分はバランスが崩れている」という事実を受け容れることが自身の成長の一歩につながります。

 

私は今回、Amazonレビューからそのチャンスをいただいちゃいました。どんなところにもその手のチャンスは見つかります。

 

ここにはこう書いてあるけれど、では自分は ?  の視点をもつと。

 

 

 

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