専門家との共依存エネルギー、卒業へ

心理学的「癒着」シリーズ第二弾。「癒着」シリーズ第一弾はこちらです。大切な人との癒着コード、続々と外れる

 

ここでいう「癒着」とはエネルギーの境界線があいまいで、お互いのエネルギーが接着剤でつけたかのように「ベッタリ」状態になったことを意味します。

 

専門家と呼ばれる人たち、私の場合、特に健康関連の専門家たちとの共依存関係が先ほどすっきりとなくなったことを感じました。

 

私たちは何か困った時、健康状態が最悪になった時、特定の専門家との縁がつながったり、関係が深まったりします。

 

その時は自分自身のこころの状態が「ベスト」ではないため、出逢った専門家の人を「救世主」のように感じることも少なくありません。自分自身の価値観が真ん中よりずれているのでバイアスがかかるわけですね。

 

時間が経って、それまで「救世主」だと思っていた人たちの考え方に微妙な違和感を感じる瞬間がきます。すると私たちは自分の心変わりを責め始めます。好きな人がいて、けれど突然なんとなく「ん ?」と感じることがありますね。そういう時とほぼ同じような気持ちです。裏切り感覚。

 

実はそれ自体は悪いことではなく当然のこと。自分の意識が真ん中に戻ったので、以前は「救世主」と感じた人でも「あれ ?  なんか違うな」と感じることの方が自然なのです。

 

ただどうしてもお世話になった人に対して不義理を働くようで、その後もズルズルと関係を続けてしまうことが少なくありません。

 

私の場合、その手の専門家の人が4~5人はいたでしょうか。実際、今はそれほどやり取りをしてなくても、彼らの意識が私の中にかなりの比率で存在していることに気づきました。もちろんそれは私の潜在意識がそう望んでいたもの。

 

そう、私自身が彼らに依存していたい、と願い続けていたのです、無意識のうちに。

 

その卒業のタイミングがきょう、やってきました。

 

それらの人たちにはとてもお世話になって、そのことに対する感謝の気持ちはもちろんあります。けれど今のところ私は専門家に頼るべき点はなくて、これからもし困ったらその時には改めてつながりを望むことはあるでしょうけど、今は大丈夫だな、となんの不安も感じなくなった自分がいることに気づきました。

 

そもそも私は健康に対して大きな不安を抱えていて、その不安を埋めてもらうために専門家の人たちとのお付き合いを強く希望していました。さらに専門家コンプレックスがあって、自分は専門家ではないから、という強い思い込みも彼らへの依存心につながっていたと自己分析。

 

そのいずれもがなくなりました。大きな健康不安と専門家コンプレックスの両方です。

 

専門家とされる方には当然得意なジャンルがあって、ところがその考え方には偏りがある場合も少なくありません。もちろん誰でも何かしらの偏りがあるもの。私自身、自分の偏りに気づいたのはごく最近のことです。偏りは偏りとして自分の個性である部分と、いや、そうは言っても偏りすぎでしょ、と思う部分と、そのいずれをも自分の中に統合する、ということをしてはじめて、やっとようやく少しだけ「偏り」が緩和してきたことを感じている段階です。

 

この「偏り」の緩和によって、自分がふらつかなければ今のところ、専門家に頼る機会はないだろうとの判断に至ったのでしょう、私の潜在意識の部分が。

 

これは関係の「切り捨て」ではなく、お互いの「癒着」をといた状態。お相手の専門家の方もスッキリするはず。お互いの執着エネルギーが少なくなり、その関係は限りなくニュートラルに近づくということです。

 

人間関係における「癒着」。これをクリアにするためには自分自身で相手に対する執着心を捨てていくことが求められます。そのプロセスをたいていの人が「不義理」だとか「恩知らず」だとか「冷たい人間だ」と感じてしまうのですが、その考え方こそが「執着」なんだ、ということを仏教関連の書籍で目にしたことがあります。

 

仏教はむずかしくて理解できないところもおおいのですが、その考え方はハートに響きました。

 

春、卒業の季節。私のこころの中にも卒業式が訪れたみたいですね。「依存」「癒着」との卒業。ということは同時に新たなステップを踏み出した祝福の時、でもあるということ。淋しさと嬉しさとどちらもがいりまじっての卒業式。ひとり卒業式だけど、しっかり味わおう。もしかしたら、同時にお相手の方にも春の風が届くかもしれませんから。

 

卒業。おめでとう。

 

 

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※ 追記 当エッセイの前のエッセイはこちらです。みぞれまじりの雨の中 ひとり散歩に興じる

 

当エッセイを執筆中、左足の股関節が痛みはじめました。左半身は女性との関係をあらわしています。心身医学の考え方を取り入れているカナダのリズ・ブルボーは著書『自分を愛して !』の中で股関節の痛みは敗北主義と関係しているとしています。

 

私自身に照らし合わせてみると、なるほど、「何をやってもうまくいくはずがない」という潜在意識が私の専門家コンプレックスにつながっていたのだろうと。その痛みがあらわれた、ということはその意識エネルギーが解放された、ということ。

 

一人でも安全に前進できるから安心して、と私自身のハートが私の身体にサインを送ってくれたようです。

 

 

 

 

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