誰にでも共通する過去生とは ?

過去生がある、としてあなたはどんな過去生のトラウマを感じますか。

 

過去生ヒーリングについては最近否定的な意見も増えているようです。私が個人的に感じているのは過去生のトラウマはおそらく数限りなくあるので、特定の過去生の経験を掘り下げても、さらに無限と言えるほどトラウマが浮かんでくるのでは、ということ。現時点での捉え方です、将来的には考え方が変わるかもしれません。

 

さて、ここ数週間、私の中に「罪悪感」というキーワードが浮かび続けていて、なんのことだろうとずっと感じていたのですが、きのう、こういうことかも、という内容が浮かんできました。

 

過去生のトラウマ、もしかしたらそれは集合意識と=である場合があるのかも、ということです。集合意識というのは文字通り「集合的な意識のこと」。個々の意識、想念ではなく、ある程度グループ化された意識のことです。例えば今だったら、「コロナはこの先どうなるのかな」という漠然とした不安感など。

 

自分がその真ん中にいなかったとしても、なんとな~く外側の意識に引っ張られてしまう。その意識が集合意識です。

 

過去生のトラウマが過去の集合意識のあらわれだとしたら。だとするとこのトラウマはほぼすべての人に共通するものなのではないか、とふと。

 

その中でも特に「罪悪感」に関係が深そうなものを探ってみたら出てきたんですよ、「魔女狩りや異端審問など迫害の歴史に関わるトラウマ」が。

 

魔女狩りはそもそも少数派の迫害を総称したもので、特に「魔女」という生き物に対する迫害行為ではありません。異端審問もキリスト教に対して「異端」と思える人たちへの行為。その他には人種や民族、思想差別など、それこそ男女の性差の違いに対する差別意識も含まれてくるかもしれません。

 

そう、その「差別」の対象になることは誰の人生にも可能性があることだと感じたのです。今の時代でも、ちょっと考え方が異なる人を見つけては無意識のうちに「差別」意識を膨らませてしまうことがあるのではないでしょうか。

 

マウンティングなどはその顕著な行為ですね。相手に対して「自分が上だ」と主張したいがための行為。

 

とすると、私たちは過去生においても知らないうちに誰かから差別される被害者であった可能性がある、ということになりませんか。同時に差別した加害者側に属していなかったとは言い切れないはず。

 

過去のトラウマと言うとどうしても「被害者」な自分を想定したがるところですが、実は「お互いさま」なので、その部分に関しては「被害者」だったとしても、他の部分で自分より弱い立場にある人を差別しなかったとは言い切れない、迫害しなかったとはいいきれないわけです。

 

そうなんです、私たちは過去生において、迫害や差別の被害者体験もしているし、おそらく加害者体験もしている。そのいずれもに関する「罪悪感」が膨らんできているんじゃないかと感じたのです。

 

つまり、過去のトラウマ、過去生も含めて、ですが、トラウマに関してはもしかしたら「加害者」も「被害者」もその内容は異なるにしても「ある傷」を感じ、「罪悪感」を感じているのではないでしょうか。

 

だとするとかなりスッキリするんです。例えば魔女狩りに遭ったというトラウマと同時に魔女狩りに関わらざるを得なかったトラウマと両方のトラウマを想定すると、大きな範囲での罪悪感が昇華されていく可能性が出てくるということですから。

 

過去生ヒーリング、という形をセルフで行うとして一番ポピュラーなもの、おそらくたいていの人に共通するのは少数派に対する「いじめ」「迫害」「差別」の加害者・被害者としての体験です。そのことを漠然とでもいいので感じるようにして、その痛みをしっかりと感じ切ります。「さよなら」といきなり手放すのではなく、しっかり痛みを感じ切るのです。すると自然にその痛みが新たな光をもたらしてくれる。

 

さまざまな過去生トラウマがあると思いますが、例えば宗教好き、スピリチュアル好き、のエネルギーが自分の中にある人は上記トラウマが潜在意識に眠っている可能性大ですので、ご自身の力で「思い出し」「感じ切る」というプロセスを踏んでみてはいかがでしょう。

 

私自身はさっそく実践してみました。どうやら「背負い癖」という形で誰かの罪まで背負っているらしいエネルギーが感じられましたのでしっかりと感じ切りました。

 

「愛」という言葉に惹かれる人もそうですね。あえて傷つき体験、痛み体験の設定をして、自分の中の「愛」をよみがえらせようと自分自身でそのシナリオを想定したのではないでしょうか。「生きづらいよ~」「いつもハートが痛いよ~」と感じる場合は、上記トラウマとそれに関わる罪悪感を同時に感じ切ってみてください。

 

すぅっと大きな光がハートの中に生まれてくるのを感じられるはずです。

 

「痛いよ~」から逃げない。「痛いよ~」にフタをしない。せっかくのチャンスなんですから。

 

当エッセイをご覧になって「カチン」ときた場合も、ここに書かれた通りの想いがあなたの中に眠っているというサインです。その「カチン」を私に向けるのではなく、ご自身の内側に向けて、新たな変容へのスイッチとしてください。「カチン」は大いなる存在からの「Gift」ですから。「カチン」もしっかりと有効活用したいもの。。

 

 

 

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※ 追記  当エッセイの前のエッセイはこちらです マスク多彩、多様性の時代

 

罪悪感って誰にでもあるもの。ある、極悪非道な罪人がいたとして口では「罪の意識はありません」、と言い続けていたとしても心の中には必ず罪悪感がある。サイコパスでない限り。

 

「罪悪感を感じたくない」思いが「罪悪感」にフタをして、「罪の意識はありません」というのではないでしょうか。本当は誰よりも罪の意識が強いのかもしれません。

 

人間の心ってとても複雑なんです、口に出している言葉がすべて真実とは限らない、真実だけを口にしているとは限らない。

 

極悪非道な罪人の気持ちの詳細がわからないとしても、もしかしたら過去生で自分もとてつもない罪を犯した経験があるかもしれないと思うと少しだけ優しい気持ちが芽生えてくるかもしれません。その優しさは本質的には自分自身に向けたもの。

 

誰かを攻撃し続けるということは自分自身を痛め続けることにつながります。

 

関連 自分のドロッドロな闇を徹底的に受け容れる

 

 

 

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