毒婦の汚名返上なるか~いのちを悲劇で終わらせないために 【前編】

東京・市谷、曙橋付近の歴史を調べている。その過程で「奴隷システムの解除」というビッグテーマが浮かび上がってきた。同テーマに基づいて執筆をしようとおもったら、またシリーズ化の大作になりそうな予感がしたので、今回は「毒婦」について、と絞りたい。

 

文章が書けない、書きにくい、気持ちが悪い、何かが引っかかっている。こういう時は苦戦しながらも大きな解放が起こる前兆だということがわかっている。けれど「重い」。

 

「毒婦」とは、人をだましたりおとしいれたりする無慈悲で性根の悪い女。奸婦 (かんぷ) 。悪女(あくじょ)。あばずれのこと。【『デジタル大辞泉(小学館)』より】

 

明治8(1875)年、東京・日本橋小伝馬町にあった牢屋敷が同・市ヶ谷に引っ越して「市谷谷町囚獄役所」として設立された。後に「市谷監獄」とよばれるこの場所で絞首刑になったのが「高橋お伝」というひとりの女性。

 

デジタル大辞泉によると『高橋おでんは[1851〜1879]夫をあやめたりその他の悪事を重ね、明治初期に処刑された女性』とある。さらに調べてみると歴史的には男たちを手玉に取った稀代の毒婦として「権力者」によってその人生を乱暴に扱われた人物だということが浮かび上がる。

 

歴史的に、と書いた。歴史は一般的に勝者の目線、男性権力者の目線によって創られる。

 

私は、 性暴力被害者という立場からの解放 6 の中でこう記している。

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もし「ドクダミ」という名前によって駆除対象とされてしまったのなら、人々は「毒 ドク」という言葉に過剰反応しているのではないか。私の中では「毒」=「悪」=「やっつけろ」=「排外」とつながってしまった、それが民族や人種に対してなら立派な「偏見」による「差別」だ。

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なぜ「彼ら」は女性を「毒婦」とするのか。結果的に罪を犯したとしてもその本質はただ健気に生きただけ。そんな女性の存在が当時の男性にとって何か都合の悪いところでもあるのか。必要以上に「邪悪な穢れた存在」を印象づけるためにあえて「毒婦」と名付けたのか。

 

一般に権力者から「悪魔」だったり「魔女」だったり「鬼」とされる存在はその実、それほど「悪者」ではない、ということが認められつつある。いや、むしろ宇宙意識とつながった大きな力をもった存在、もしくは概念そのもの。もしかしたら「毒婦」も同じなのかもしれない。

 

私たちは実は自分からみて「怖ろしい」存在にこそ、「蔑み」の名称をつけるという特徴がある。それはある意味自分の中の怖ろしさそのものの投影であり、また、それを受け容れられない感情のあらわれでもある。

 

 

 

毒婦の汚名返上なるか~いのちを悲劇で終わらせないために 【中編】

 

 

 

 

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